今月の特集題  変えられる喜び



変えられるよろこび
中島 信子
 ローマの信徒への手紙12章2節に「心を新たにして自分を変えていただき」とありますが、キリストの愛によって変えられたのは先ず受洗した時なのでしょう。
 卒業間際の事ですぐ郷里の松本に帰ってしまい、日高牧師(石橋先生のおじい様)のお葬式にも行かず心苦しく思っていたところ、外孫さんが大学を出られ牧会なさるのでそこへ行きなさいとの強い勧めがあり鴻巣教会へ導かれました。それは大阪から引越して来てから2年後の事でした。数年お世話になり又市川へ移って来ました。折しも石橋先生も越谷に来られたと聞き、少し遠いのですが教会員にしていただき今に至っています。
 思えば、学生時代キリスト教学や修養会及び山手教会での賀川豊彦先生の説教等で私も少しずつ変えられ、日高牧師によって救われたのだと思います。
 さて、石橋先生のお説教はと言えば、年毎にお顔もおじい様の日高先生に似てきて、霊感に満ち心を打たれるものでした(由美子先生からお聞きすると夜中に急に起き上がり原稿を書かれるとのこと……)。礼拝後は喜びと祝福を得て家路に着いたものでした。が、しかし60歳の時、持病も加わり最悪の深い淵に陥ってしまいました。     
 その時「あなたはすでに赦されているのですよ、ちゃんと薬を飲みなさい。大宮教会の牧師も薬を飲みながら説教しているのですよ」と石橋先生が電話でおっしゃって祈って下さいました。その直後の礼拝は忘れられません。涙がとめどなく流れ、主に立ち帰る事が出来て、世の中が祝福と喜びに輝いて見えました。キリストの愛と受容によって気持ちが楽になり、それ以来少しは変えられて自分なりの生き方が出来るようになりました(勿論今も薬は飲みつづけてはいますが)。
 時には少し落ち込む事もありますが、近所に居る信徒の親友(賀川先生や日高先生らと活躍しておられた有名な牧師先生の娘さん)の所へ行って耳を傾けてもらい助言をいただいています。私には、信仰深い友人や先輩がどこへ行っても近くに居て下さるのです。これも神の恵みです。この方の家で舟喜信先生による旧約の会を開いていただいたり、一カ月に一回聖書研究みたいなものをやって下さり助かっています。なんせ近くには10名位の親しいクリスチャンが居るのです。
 石橋先生に電話で祈っていただいたあの時以来必ず朝のデボーションは続けていますが、夜寝る時にはもう朝学んだみ言葉は忘れてしまうという不信心な私ですので、もっと聖書を学び、神の贈りものである「祈り」を多くし、礼拝を重んじ、心の中に神から発信されるケイタイのメールを入れ、常に神のみ言葉を聞きながら歩めば、私の信仰も成長し霊的な発達を可能にする事が出来るでしょう。そして日毎に神に立ち帰り、救いの確信を得て愛と恵みのうちに「喜び」に満ちた生活をせねばと思います。
 今はただ、もっと私を新しく変えて下さいと祈るのみです。変えられた喜びを持って人に接すれば主は私を通してその人の心に働きかけて下さるのだと思うこの頃です。
(なかじま のぶこ)


心でしか見えない
土屋 恵子
 今春より、長男が就職、次男は高校進学、そして、母(私)は新しい居地で保育士としての働く場が与えられ、夫を亡くして10年、新しい変化がありました。
 次男が夫のジーンズをぴったりにはきこなしたと思いきや、すそが短く夫の身長を上回っていました。長男はエンジニアとしての仕事が嬉しく、研修の現場での技術習得に励んでいるようですが、私の帰宅が9時10時が多く、少々怒り気味です。
 先日、「葉っぱのフレディ」をミュージカルで観ました。生きるとはどういうことだろう。私たちは本当に人生の中においても春夏秋冬を与えられて、過ごしているんだと思いました。
 1月より移動になった職場では、私も悩み、考えることも多くあり、今もまだ、続いています。様々な困難な問題があり責任ある立場で自分に何ができるのか、キリスト教保育園での人との関わりが思い出されて、祈り合えたら、賛美し合えたらと嘆くばかりでした。
 「心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」(コリントの信徒への手紙一1章10節)のみことばが記されているノートは、石橋牧師の説教でした。私には教会に行くことが許されていると思い、しだいに心が湧きたってきました。日曜日の礼拝が待ち遠しく、教会で祈り賛美することができる喜びを持つことができました。
 礼拝の中で、様々なことが回想されて、涙が止まらなくなることもありましたが、一週間を教会の礼拝で始められる幸いを感謝しました。不思議なことに、石橋牧師の説教が、いつもと言っていいほど、心にぴったりと合い力になっています。本当に感謝しています。
 みつばさの原稿へのペンの走りは、あまり上手くないのですが、今、自分はどうありたいのか?何を思って教会へ通うのかを、見つめることも大切だと思いをめぐらせてみました。
 サン=テグジュペリの「星の王子さま」はよくくり返し読みますが、「大切なことはね、目に見えないんだよ」とそこで出会ったきつねから、教えられたことです。また、聖書の中で、「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サムエル記上16章7節)とありました。私も保育は心で聴いて幼な子を受け入れて、向きあうことで言葉になり、表情になると思っています。さらに、そこで関わる人との関係に悩み、困難であっても「心を寄り添わせて」いくことの大切さを、強く思うようになりました。
 主が共にいて下さることを感謝しています。石橋牧師から聖書のみことばを聴く喜びの中で、新しい一週間を与えられている恵みが自分を生かし希望をもたらす力になっています。   
(つちや けいこ)

越谷教会月報みつばさ2009年10月号特集「変えられる喜び」より


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