今月の特集題 共に生きる喜び
御園生和美 |
神様が下さった「秋」という季節。小さな子どもたちから、年輩の方まで一緒に幼児祝福合同礼拝を守ることが出来ました。私にとって、この合同礼拝は8回目となります。ホール一杯に子どもたちの歌声が響き、神様はお喜びなさっていることでしょう。 息子が年長クラスの頃、この合同礼拝で献金当番をさせて頂きました。椅子の下にあった献金箱を両手で大切に持ち、一歩一歩誇らしげに歩いて行くわが子を見て、神様の愛、先生方の愛に感謝をした一日でした。 「共に生きる喜び」、神様が与えて下さった祝福をみんなで味わうこと、合同礼拝と同じだと、教会学校に通う息子が話してました。 今年の夏、息子は一冊の絵本と出会いました。夏期学校の時、石橋先生が読んで下さった「サンガイ・ジウナゴ・ラギ みんなで生きるために」(文:岩村史子、篠浦千史、発売:日本キリスト教団出版局)です。とても感動したようで、帰るなり「その本を買って欲しい」と言いました。近くで探しましたが見当たらず、銀座の教文館で求めました。息子は夏休みの宿題でこの本を読書感想文に書きました。少しですが、紹介させて頂きます。 医師の岩村先生が奥さんと共にネパールの人たちと一緒に生きていく物語です。今から46年前の日本は、東京オリンピックを目前に急速に発展し、そんな中、夫妻はネパールに渡りました。 岩村医師は、一人の荷物運びの仕事をする青年と出会いました。往診中、重い病気のおばあさんを病院に運ぶ仕事を快く引き受けてくれました。三日掛けて病院に着き、医師が若者に代金を払おうとすると若者は受け取りません。三日分、自分の元気を分けてあげたこと、又、お金のためにおばあさんを病院に運んだのではないこと、逆にこの仕事からたくさん得ることがあり、感謝の気持ちで一杯であること…。若者はきっと、おばあさんと三日間、共に生きる喜びを噛み締めたことでしょう。 お金より大切なものを息子と考えて見ました。お金で買うことの出来ない、人と人との繋がりではないでしょうか。 家族との繋がり、社会との繋がり、神様との繋がり、共に生きる喜びを大切に、神様が私に与えてくださった、人としてこの世に命が授かった役割を果たせるように、日々努めて参りたいと思います。 もうすぐ「アドベント」を迎えます。ろうそくを一本ずつ灯し、イエス様の御誕生をみんなでお祝い出来る幸せに、感謝の気持ちで一杯です。心を一つに合わせて、お祈りできる、共に生きる喜びに感謝致します。 |
(みそのう かづみ) |
山中 律子 |
私にとって共に生きる喜びってどんな事なのかなと考えてみました。まず第一に神様と共に生きる喜び、そして家族や自分の兄弟と共に生きる喜び、信仰の友と共に生きる喜び、地域の人達と共に生きる喜び、沢山ある喜び。どれもこれも神様と共に生きる喜びの中で育まれるものである事に気付きます。神様と共に生きて、生かされてこなければ生きてこられない現実が沢山ある事に気付かされます。 にっちもさっちも行かないという思いにつき当ったのは三十代の頃の事です。その時、自然に神様の声が聞きたいと思いました。それは私が幼い頃越谷幼稚園でお世話になり、教会学校で過して沢山の讃美歌とお祈りをした思い出、教会に連なる方々との交わり(その方々のいつも変らぬ笑顔になんともいえぬ不思議さを感じた)があったからだと思いますが、私のその声に耳を傾け共に聖書を開いて下さった壬子先生の存在がありました。 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節) まず目に飛び込んで来たのは聖書の帯に書いてあったこのみことばでした。そして、目の少し不自由な壬子先生と共に聖書を読み、先生の祈る祈りを聞くうちに、段々心に平安を覚えるようになりました。 「われ山にむかいて目をあぐ わが助けはいずこよりきたるや わが助けは天地をつくりたまえる 主よりきたる。」(交読文29 詩編121篇) これはその時初めて出合った教会のみつばさの前身、「天の門」に書いてあった聖句です。天地を造りたもう、偉大な神様が小さな欠けの多い、とるに足りない者を、疲れてうずくまっているこの私に招きの言葉をかけて下さっているという本当に驚きの経験をしました。 自分の言葉で祈り、声にならないうめきの声をもって神様に執りなして下さる聖霊の助けをいただいて大胆に神様に近づく事が許されている、この奇跡が私に平安と希望と喜びと感謝をもたらしました。 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙4章6〜7節) 共に生きる喜び、それは礼拝を通し神様と共に生きる喜びです。礼拝で生けるみことばに出合い、賛美するその讃美歌によって支えられています。 神様があなたの心の扉をたたく音に、多くの人々が耳をすませて欲しいと思うのです。 |
(やまなか りつこ) |
越谷教会月報みつばさ2009年11月号特集「共に生きる喜び」より |