みずみずしく   田中昌光

 

 

最近、東京K教会の油絵画家M氏のことを或る紙上で知りました。この方は間もなく90才になるのですが、十数年前に奥様に先立たれ、ご自身も皮膚ガンや腹部大動脈瘤の宿痾(しゅくあ)を得て二度も手術を受けたそうです。更に後遺症の足のしびれや痛みがひどく辛酸をなめてこられました。

 現在は一人暮らしで車椅子の人です。このように高齢で不自由な身ながら先頃、自分史『私の歩んだ道』を完成させ、更に続編を書きたいと仰有っています。はじめてのワープロに戸惑いながらもプリントアウトから表紙作製まで、すべて手作りとか。

 なお毎週日曜日、お天気さえ良ければ教会へ車椅子で行かれます。礼拝出席が『生きていく張り合いになっている』とか『すべて神のみがご存知のこと』と仰有る信仰が氏を支えているのでしょう。何事にもくよくよせず好奇心を持ち続けていきたいと願っているM氏こそ十字架を神の業として受けとめている、パウロの言う、成熟した人といえましょう。

 翻って私自身を見るにキリスト者として心してイエスに従って歩んでいるだろうか。自分の言動にイエスの光を当て大きく反射させているだろうか。いつもイエスが一緒におられると思っていても、実はそのお姿を見失っていることはないだろうか。

 時にはイエスがおられないことにも気がつかず漫然と過ごしていることはないだろうか。私は今日まで多くの教友からも生かされてきたが、皆さまを生かしてきただろうか。まことに慚愧に耐えません。

 こんな非力で弱い私にも神は招きと励ましの声をかけてくださり、力なく『ハイ!』と返事をしても、大きな恵みと愛をもって抱擁し、ゆるしと生きる力を与えてくださる。そしてみことばに耳を傾けるとき、救いと永遠の生命の世界が開けてくる。

 沢山の恵みに甘えることなく感謝しつつ主の御業を賛美し、主を畏れる信仰を確立したい。

 願はくば、三無い信仰(祈らない・聖書を読まない・信仰告白しない)の深みに落ち込まないよう目をさましていたい。そしてみことばをいただき、イエスとその教えに信仰の目と心を向けていかねばならないと痛感している。

 古希を過ぎて早や二年、いたずらに馬齢を重ねる身ですが、最高の価値である上なるイエスを仰ぐべく、旧・新約を一日各一章ずつを再読しているのだが・・・・力不足で牛歩さながらの歩みは、なんとも恥ずかしい。

 しかしまだがあるので、こんもりと茂った命の木を見上げ、ほとりの命の泉を一生懸命に汲みあげたいものだ。冒頭のM氏のように信仰を深めて、なつめやしやレバノン杉(詩篇92-13)のようにみずみずしく成育したい。

 

    越谷教会月報『みつばさ』2001年7月号 特集「上なるものを見つめて」より

 

 

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