「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」
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(使徒言行録23章11節) |
パウロはエルサレムにあって、激しく攻撃され「彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し」と10節に記されている。
今まさに日本社会は「引き裂かれる」痛みの中にある。
3月28日から31日まで、東京神学大学の神学生11名と2名の青年と共に、マイクロバスで1744キロの祈りの旅をした。
新生釜石教会の地域への奉仕活動に参加し、そして、釜石市、大槌町、山田町、宮古市と大災害の地に立って神学生と共に祈った。
一つの命にどれほどの人のつながりがあるだろうか。そのつながりが一瞬にして引き裂かれた。
この引き裂かれた悲しみに日本中が沈んでいる。
この祈りの旅に参加した神学生の教会の友達も、大槌町に住む母親は行方不明だ。その友達は「神のなさることであったら受けいれる」と言った。この言葉は希望の言葉か、諦めの言葉か。
大船渡教会で礼拝されてる越谷教会会員のM兄は「神さまのなさることは凄まじい」と語った。
神学生達は「神の主権と、この大災害の、言語を絶する被害の現実の中で、どのような言葉を持ち、どのような言葉を語り得るか、説教者として立つ時、どのような言葉を神の言葉として語り得るか」を問う旅ともなった。
大船渡の津波の被害も凄まじい。隣町の陸前高田市の信徒は犠牲者となった。
「このような大災害を引き起こす神なら信じない」と神を否定する言葉が聞こえてくる。
信仰の世界も引き裂かれてしまうのではないかと思える現実の中に教会は立てられている。
この日本の社会で、信仰の世界でも「引き裂かれ」てしまった現実の中に聖書の言葉が響く。
「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」
エルサレムで、パウロはかつて仲間であった人々との間が引き裂かれた。信仰の確信を語ったが故に、信仰が「引き裂かれる」という危機の中にあるパウロに主の言葉が響く。
パウロは「エルサレムで力強く証しした」復活の主イエスに出会い、復活の主の救いを力強く証しした。
まさに主イエスの十字架は「引き裂かれた現実」の中に立っている。
主イエスが十字架に引き裂かれて死に、そして復活された。引き裂かれた現実の中に、復活の希望が指し示されている。
それゆえに「勇気を出せ。証しせよ」との御言葉が響く。
旅からの帰途、神学生に連絡が入った。
「母は亡くなった。天国で会えます」。
その神学生の友達は復活を信じる信仰によって、引き裂かれる悲しみの中に希望と慰めを得ている。
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