「日本の教会の使命 −さあ行って伝えなさい−」 石橋秀雄牧師

 

 「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 

(マルコによる福音書16章7節)

 4月23日、受難日の翌日、主が墓に納められたことを覚える日に、朝日新聞に81歳で癌で最近亡くなった詩人(島田陽子)の詩が掲載されていた。被災地の方々を思って掲載された詩だ。

   滝は滝になりたくてなったのではない
  落ちなければならないことなど
  崖っぷちに来るまで知らなかったのだ
  しかし、まっさかさまに
  落ちて落ちて落ちて
  たたきつけられた奈落に
  思いがけない平安が待っていた
  新しい旅も用意されていた
  岩を縫って川は再び走り始める

 「落ちて、落ちて、落ちて たたきつけられた奈落」
 今、被災地の方々はこの奈落で「思いがけない平安」とそこから流れ出す川を、望を持って新たな生活へと歩き出す道が求められている。
 流れ出す川、まっさかさまに奈落の底に落ちた滝。そこから穏やかな新しい川となって走り出す。
 まさに、今、主から、この平安と希望を指し示す使命が、日本の教会に与えられている。
 主イエスが被災地の方々の悲痛な叫びを、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコによる福音書15章34節)と叫ばれて十字架に、奈落の底に沈み、絶望の墓に身を横たえてくださった。この絶望の墓が復活の喜び、復活の平安で満たされる。
 そして、この絶望の墓から復活の希望に満ちた新しい川が流れだし、新しい生活が備えられていく。
  「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
 弟子たちは、ペトロは絶望している。生きる希望を失っている。この弟子たちに「さあ、行って、伝えなさい」との御言葉が響き渡る。
 主は復活し、生きておられる。「ガリラヤに先に行っておられる。そこでお会いすることができる」。
 墓から始まる新しい流れは、新しい生活は、復活の主との新たな出会いを経験しながら歩む道だ。常に復活の主が前にいてくださる道だ。
 戦後最大の日本の危機の中にあって、この大災害の痛みの中にある人々に福音を伝えたい、本当の平安と希望を伝えたい。


  

  越谷教会月報「みつばさ」2011年5月号より

画像:ヤギの赤ちゃん「朝焼け・夕焼け写真日記」からお借りしました。




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