「『恐れるな。』・・・元気を出しなさい。わたしは神を信じています。」
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(使徒言行録27章24・25節) |
5月28日(土曜日)は沖縄にいた。夕食を食べて外に出た。那覇で瞬間風速50メートルと翌日新聞で報道されていたが、もちろん風速50メートルではないが、凄まじい暴風の中、身の危険を感じながらホテルに帰った。翌日、樹木が沢山倒れていた。道路には吹き飛ばされた樹木が散乱していた。
凄まじい自然の驚異の中で、人間の無力を思い知らされる。凄まじい嵐に翻弄される船。凄まじい嵐に翻弄される教会、凄まじい嵐に翻弄される信仰者に、「恐れるな、元気を出しなさい」との神の励ましの言葉が響き渡る。
パウロの乗った船が突然暴風に遭い、難破の恐怖に包まれる。彼らは積み荷を捨て、船具を捨て、「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。」(20節)
太陽も星も見えなかったら自分たちの船の位置もわからない。どこに向かって行ったらよいか、その目標がない。船はやがて難破し破壊されて、死の絶望の中に沈んで行く以外にない。
この絶望的現実の中でパウロは立ち、語る。神の御言葉を持つものが立つことを許される。自分の為に立つのではない。打ちのめされた人々の中で立つ。
「恐れるな、元気を出しなさい」と励ましの言葉をパウロは立って語る。
パウロは船の危険を予告していたが、そのパウロの言葉を船の責任者は聞かなかった。彼らは船の専門家である。囚人として船に乗っているパウロの話を聞き得ないのは当然だ。しかし、人間の力が中心になる時、神の言葉は小さくなり無視される。その人間の罪の問題をパウロは指摘する。
神は罪を問い、裁く神だ。しかし、神の目的は救うことである。
「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」(21・22節)
「助かる望みが全く消えた人々」「恐れるな、元気を出しなさい」「あなたはすでに救われている」との十字架と復活の主の救いの言葉が響きわたる。
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