「喜びを伝えたい」 石橋秀雄牧師

 

「御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。」

(ヨハネの手紙一 1章3節〜4節)

  「伝道に熱くなる教団、伝道に熱くなる教会」ということを全国の日本基督教団の教会に訴えている。全国17教区の内7教区総会の問安に行った。ある教区総会での私に対する質問の中に「伝道に熱くなる」と訴えているが、伝道とは何か、熱くなるとはどういうことかと質問を受けた。その時、ヨハネ第一の手紙の1章3節〜4節の言葉で答えた。ここには教会が熱く語る、熱く伝道せずにはおれない神の業が記されている。
 「あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。」(3節)
 伝道するということは「わたしたちの交わりを持つ」ためであることが記されている。
 「交わりに熱くなっている。感動している。心が燃えている」。だから「私が持っている交わりを持って欲しいのだ」。
 この交わりは伝えざるを得ない。喜びに満ち溢れているからだ。
 「わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」(3節)と続けて語られる。
 この尊い交わりは、主イエスの十字架上の壮絶な死の叫びによってもたらされた。
 「イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」(マルコによる福音書15章37節〜38節)
 東日本大震災、津波の凄まじい破壊の只中に立って以来、主イエスの死を見続けている。
 著名な写真家は、この地獄図の写真を掲載する中で、「神様消滅」「今神の存在を疑う」と記した。
 神は死んだ。三位一体の子なる神の死。まさに主イエスは人間の悲劇、悲惨、絶望の中に宿り、大声を出して息を引き取られた。人間の絶望、あらゆる絶望の中に宿り、人間にかわって絶望の叫びをあげて息を引き取られた神の子。息を引き取られたとき神殿の幕が真っ二つに裂けた。神と人とを隔てていた幕が真っ二つに裂けて、神と人間とが一つになったことが示される。
 ダメになっていく人間、罪に滅んでいく人間、弱さと脆さのゆえにダメになっていく人間。
 人と人との交わりの中で傷つきダメになっていく人間。
 この人間の中に、神の子、三位一体の子なる神、キリストが宿ってくださり、神の命を注入してくださった。人間の悲痛な叫びを、絶望の中に悲痛な叫びをあげて、人間の痛みを背負い死んでくださり、そして、その死から復活の命の道を開いてくださった。
 復活の神の命を注いでくださった。
 この神との尊い交わりの中に招かれている。
 御父と御子キリストの力が私たちの弱さの中に宿る。神との交わりを持つ、そして、神の命をいただいて生きる。この交わりを持つ時、「喜びに満ちあふれる」のだ。この喜びを伝えたい。


  

  越谷教会月報「みつばさ」2011年7月号より

画像:二重の虹「朝焼け・夕焼け写真日記」からお借りしました。




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