「恐れをいだくとき、わたしはあなたに依り頼みます。」 「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。・・・・あなたの皮袋にわたしの涙を蓄えてください。」 |
(詩篇56編4節、9節) 『日本聖書協会発行『新共同訳聖書』 |
闇の中に光るローソクの火、この光を私たちはどのように受けとめているだろうか。
闇はどんなに暗くてもローソクの火を消すことが出来ない。
暗ければ暗いほど小さな光は輝いている。 この光を見て信仰の確信を持つことが出来る。
光は確かに闇の中に輝いている。 しかし、闇の力もなお依然として強く、 自分の心と身体を痛めつける。その激しい苦難の中で、小さな光はなんと心もとないことだろうか。
こんな小さな光は何の力になるのだろうかと不安な思いがひろがる。 信仰と不信仰の間で心が揺れ動く。 詩篇56編の4節は直訳するとずいぶん違った詩人の心が示される。 ある学者の訳では「ある日にわたしは恐れ、(ある日には)信頼します」と 詩人の心の揺れ動きというものが示されている。 命をねらう敵に捕らえられ無力な自分をさらしている。 詩人は恐れおののき、神への信頼が揺らいでいる。 しかし、「ある日には依り頼む」と不安と信頼の間で揺れ動く詩人の姿は、私達の姿でもある。 しかし、この揺れ動く心に主は働きかけ、揺れ動く心の中に光の確かさを示し、 嘆き悲しみ憐れみを求める祈りに応答してくださる。 「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。・・・・ あなたの皮袋にわたしの涙を蓄えてください。」(9節) 深い闇、不安が心を支配し、嘆き悲しみ涙を流す。 その嘆きを神は数えられている。 主は覚えてくださっている。 人生の闇のただなかで流した涙、その涙は一粒も地に空しく落ちることはない。 その一粒一粒の涙が神の皮袋に蓄えられていると詩篇記者は語っている。 神は流した涙の何倍もの喜びで満たしてくださる。 いや満たしてくださった。 神は死から魂を救い、突き落とされようとした足を救ってくださったと告白している。 もう駄目だと思える最後のところで、神は滅びの中に滑り落ちる足を救い上げてくださったと詩人は語っている。 揺れ動く心を神は不信仰だとしりぞけるのではなく、 不信仰の故に流した涙さえ神は受けとめてくださり、 揺れ動く心に働きかけて、信仰の深みに導いてくださる神の業が示される。 |