「みことばに聞く」
教会報「みつばさ」5月号より

驚きと感動と感謝
牧師 石橋秀雄

心に湧き出る美しい言葉、わたしの作る詩を、主の前で歌おう。」
(詩編45編2節)
日本聖書協会発行『新共同訳聖書』
倉橋惣三の「育ての心」という本の中に、「驚く心」という詩がある。 その中に次のような言葉がある。
「驚く人であることにおいて、教育者は詩人と同じだ。驚く心がうせたとき、 詩も教育も、形だけが美しい殻になる。」
教会附属幼稚園で子どもと生活していて、驚いたり、大笑いしたりして、 子どもたちは楽しませてくれる。子どもと一緒に歩んで行くところに驚きがある。 保育者は「聞いて聞いて」とその驚きうぃ伝えようとする。まさに良い保育者とは 驚く人である。
「驚く人であることにおいて、教育者も詩人も同じだ」と歌っている。 聖書の世界についても同じことが言えると思う。「驚く人であることにおいて、 教育者も詩人も信仰者も同じだ」。「驚く心がうせたとき、詩も教育も信仰も、 形だけの殻になる」と言ったら言い過ぎだろうか。
詩編45編の詩人は驚きと感動と感激の中で、あふれるばかりの喜びの中で歌っている。 「心に湧き出る美しい言葉 わたしの作る詩を、王の前で歌おう」(詩編45編2節)
王宮での華やかな結婚の式が催されている。華やかな喜びに満ちた感動的な王の結婚式だ。 詩編記者は驚き、感動し、感激して、次々に美しい言葉が、讃美の言葉が沸き起こっていく。
イスラエルの人々はやがて歴史の中で神の業を受けとめ、この驚きと感動と感激を、 この詩編45編を自分達の礼拝の詩にしていった。イスラエルは神の花嫁として迎え入れられて いったのだ。深い、熱い人格的な生き生きとした関係の中に受け入れられていった。
姦淫のイスラエルと呼ばれた時代があった。花婿なる神を裏切ってしまった。 しかし、メシアなる王なる花婿としての神は、到底赦すことが出来ないイスラエルの 罪を赦して、再び花嫁として迎え入れたのだ。この神の業に驚き、感動し、感謝して、 讃美の美しい言葉が湧き出るという。そして、メシアなる王なるイエスは、十字架に死に、 私たちの罪を担い赦して、再び新しいイスラエルなる教会を花嫁として迎え入れてくださった。
私たちは、詩編45編の詩人、イスラエルの人々が歴史の中で味わった以上の、 はるかに大きな神の恵みに中に生かされている。この驚きを、感動を、感謝を、 わたしたちの最高の言葉で讃美をし、証しをなすものでありたい。


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