「みことばに聞く」

教会報「みつばさ」9月号より

引き上げて下さる主

牧師 石橋秀雄
「わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、
 その人は14年前、第3の天にまで引き上げられたのです。」
(コリントの信徒への手紙U 12章2節)
『日本聖書協会発行『新共同訳聖書』

「底から支える十字架の主」が今月号の特集だ。  底に、私たちの人生の底に主は降りてきて下さった。降りてきて下さった主 、 そして、引き上げて下さる主がパウロの誇りだ。  「パウロは楽園にまで引き上げられた。そこで、人が口にするのを許され ない、言い表し得ない言葉を耳にした」と四節で語っている。この体験が パウロの誇りだと強調して彼は記している。  
楽園に、パラダイスに引き上げられるという経験をパウロはしたのだ。 どのように引き上げられたかは知らない。それは神がご存知だとその経験を 語る。  
パウロはかって、教会を迫害していた。ダマスコのキリスト者を捕らえる ために、ダマスコに向かっている途中でキリストに出会う。 「サウロ、サウロ何故私を迫害するのか」というキリストの声を聞き、 迫害するものからキリストの伝道者へと変えられて行く。神に敵対する、 罪人の中に主が降りてきて下さった。
キリストの十字架は罪人の只中に立ち、そこから救い上げて下さる 神の業であることを示している。   
降りてきて下さった主は、引き上げて下さる主だ。パウロは楽園に 引き上げられた。キリストが十字架で処刑される時、一緒に処刑される 罪人の一人が、キリストを信じ告白する。この処刑される、人生最後の 日に惨めな殺され方をする、その最後の時にキリストに出会った罪人。 彼はキリストと共に死ぬ事がゆるされ、「今日私と共に楽園に入る」 との約束の言葉を主から聞く。
どん底から引き上げられている。楽園、神の世界、永遠の命の世界がある。パウロはその世界に 引き上げられる体験をすることがゆるされた。  
私たちの罪の只中に降りてきて救い上げて下さった主は、私たちを引き 上げて下さる主であることが、示されている。それは死をもって終わり にならない世界だ。死を打ち破って、死を越えてある世界だ。  
私たちの中に降りてきて下さった主は、私たちと共に死んで下さり、 そして、永遠の命の世界に引き上げて下さる主なのだ。

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