コンピューターの表示は、99から00になった。 「リセットボタンで99から0にするように今までのものは消して、さあ新しく出直そう」 と新たな思いで2000年の歩みをなす人もいると思う。 しかし、単に0になっただけであったら相変わらずの人生を積み重ねることになる。 私たちも0にされる。しかし、それは単なる0ではない。9は数字の中で最大のものだ。 1999という数字の中に私たちは何を見るだろうか。999は何を意味するだろう。 99、9、この数字は悲しみにあふれている。苦しみが一杯、罪に満ちている。その極限を意味しているのではないか。苦悩の極限、罪の極限を示す9だ。 詩編22編の詩人は懸命に祈っている。「主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください」と繰り返し繰り返し祈っている。祈るそばから容赦なく苦難がふりかかる。 ![]() 苦悩の極限で主に出会う。 999、99、9、この苦悩の極限に主は立っていてくださった。それ故、とうてい新しく出て行くことが出来ない現実の中で、主の力をいただいてゼロから出発できるのだ。それは単に9がリセットされたゼロではない。 9のなかに神の命が示され、9の重さ、苦悩の重さが深ければ深いほど、命の主の力を深く受け止めさせられ、力と慰めと、恵みを深く味わいながら、それ故に9であったことが、ゼロからのスタートのバネになって新たに出発し得るのだ。 |