「みことばに聞く」


教会報「みつばさ」1月号より

ゼロからの出発

牧師 石橋秀雄

「わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。
主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください。」(詩編22編19節〜20節)

  1999年から2000年に移り、その歩みが始まった。
 コンピューターの表示は、99から00になった。
 「リセットボタンで99から0にするように今までのものは消して、さあ新しく出直そう」
と新たな思いで2000年の歩みをなす人もいると思う。 しかし、単に0になっただけであったら相変わらずの人生を積み重ねることになる。 私たちも0にされる。しかし、それは単なる0ではない。9は数字の中で最大のものだ。 1999という数字の中に私たちは何を見るだろうか。999は何を意味するだろう。 99、9、この数字は悲しみにあふれている。苦しみが一杯、罪に満ちている。その極限を意味しているのではないか。苦悩の極限、罪の極限を示す9だ。
 詩編22編の詩人は懸命に祈っている。「主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください」と繰り返し繰り返し祈っている。祈るそばから容赦なく苦難がふりかかる。 彼の心はまさに9、これ以上耐えられない苦悩の中でうめく。 彼は自分が殺されて野に捨てられ、犬が自分の身体を引き裂き、敵たちが自分の最後の所有物である衣服を剥ぎ取ってくじ引きする姿を想像する。(詩編22編17節〜18節) そして、その時は近い。祈っても、祈っても神は聞いてくださらない。 その苦悩の極限で、主に出会う。主も十字架でさらしものにされ、その衣服はくじ引きされた。(マルコ15章24節以下) 詩人の苦悩は、主イエス・キリストにおいて担われている。人々にさらしものにされ、衣服が剥ぎ取られ、くじ引きされるという悲劇の極限で主に出会うのだ。そこで、力の主に出会うことが示されている。
 苦悩の極限で主に出会う。 999、99、9、この苦悩の極限に主は立っていてくださった。それ故、とうてい新しく出て行くことが出来ない現実の中で、主の力をいただいてゼロから出発できるのだ。それは単に9がリセットされたゼロではない。 9のなかに神の命が示され、9の重さ、苦悩の重さが深ければ深いほど、命の主の力を深く受け止めさせられ、力と慰めと、恵みを深く味わいながら、それ故に9であったことが、ゼロからのスタートのバネになって新たに出発し得るのだ。



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