みことばに聞く
    
「主に祝福される人生の確かさ」

 



「ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた。・ ・ ・『わたしの旅路の年月は130年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。』」

創世記47章7節、9節



 ファラオはこの世の栄光と権力を一身に持っている。
 この王の前に飢饉で苦しむ、貧しい民族、羊を飼うものでしかないヤコブが王を祝福している。
 長寿であるものが、その長寿にあやかるようにと王を祝福するということは、あったようだ。
 しかし、ここでの祝福はヤコブの長寿にファラオがあやかるための祝福ではない。
 神の約束の中に生かされているが故に、ファラオを祝福している。アブラハムに神は約束された。
 アブラハムは祝福の基となった(創世記12章1節〜3節)。アブラハムが祝福するものを神が祝福される。
 「全てのものが神の祝福の中に生きるものとなる」ようにその使命がアブラハムとその子孫に与えられる。
 今、その神の約束の言葉の中に生きるものとして、ヤコブは自分の人生を振り返り、確かな確信に基づいてファラオを祝福している。
 「わたしの旅路の年月は130年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」(創世記47章9節)







  アブラハムは175歳だ。イサクは180歳だ。この父祖に比べたら130歳は遥かに短いのだ。長寿は神の祝福のしるしだ。
 詩編90編10節「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません。」
 創造期、ノアの時代、族長時代、モーセの時代と後の時代になるに従って寿命はだんだん短くなる。アダムは930年、ノアは950年生きたと創世記に記される。
 時代が積み重ねられることによって、人間の罪が積み重なって神からの祝福が薄れて行く人間の姿が、この年齢の中に象徴的に示されている。
 ファラオの前でヤコブは自分の悲惨な人生を告白する。
 その人生は骨折りと苦しみの連続だった。最愛の子を失ったと思い死の苦しみを味わった。飢饉による滅びの危機を経験した。自分の無力を思い知った。
 そのような自分が今日まで生きる事ができたのは神の恵み、神の祝福の中にあったからだということを深く知る。神の祝福を受けることなしには生きられない自分を深く知る。
 人生の終わりにあって、何が自分の人生を支える力であったかということを深く知る。
 「神の祝福を受ける人生こそが確かな人生である」ことの確信からファラオを祝福しているのだ。

  

  越谷教会月報「みつばさ」2010年10月号より




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