「贖い主の誕生」
「わたしをあらゆる苦しみから贖われた御使いよ。」
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(創世記48章16節) |
待降節に創世記から示される恵みの言葉が、16節の言葉である。
「あらゆる苦しみから贖われた御使いよ。」この御言葉を待降節に驚きをもって聴くことが出来る。
待降節の恵みは「神の子がわたしたち、人間のただ中に贖い主として誕生してくださった」ということである。
「あらゆる苦しみから贖われた御使い」との言葉は、神が贖いの担い手になってくださったと記される最も古い文章である。
この創世記の言葉は神の救済について語られるイザヤ書に、その影響を見ることができる。
「主は僕ヤコブを贖われた、と言え。」 (イザヤ書48章20節)
イスラエルが、捕囚というバビロニア帝国による屈辱的支配から解放され、自由にされて故郷に帰る事ができる。神自らが贖うものとして、解放者として働いてくださるということがこのイザヤ書に宣言されている。
「もし同胞の一人が貧しくなったため、自分の所有地の一部を売ったならば、それを買い戻す義務を負う親戚が来て、売った土地を買い戻さねばならない。」(レビ記25章25節)
土地は神から与えられたもので、その土地を売っても売ったままにしておいてはならない。買い戻さなければならない。その責任を親戚のものが負う。身内のものが担わなければならない。この身内のものが担う責任を神自らが負ってくださるというのだ。
「神が身内のように近くに来てあらゆる苦難から贖ってくださった」と告白されている。
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実際にヤコブは赦されない罪を重ねてきた。父を騙し、兄を騙し、神をも欺いて長子の特権を兄エサウから奪った。この赦されない罪が贖われたのだ。
クリスマスの恵みは、わたしたちのただ中に「ひとりの幼子」が誕生したということである。
この幼子は天地創造の神と一つであるお方である。すなわち神である。神が、わたしたちのただ中に来てくださった。
わたしたちの身内として、わたしたちの罪を贖う者として誕生された。しかも、神に敵対し、神の怒りの中にある者の中に来てくださった。ここに驚きを覚える。
「わたしたちのあらゆる苦しみを、身内以上に、わたしたちと一つとなって贖う」為に、わたしたち人間のただ中に救い主が誕生されたのだ。
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越谷教会月報「みつばさ」2010年12月号より
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