「驚き」
「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」
(創世記38章24,26節)
ユダとタマルの物語が記されている38章は驚きなしには読むことが出来ない。
タマルの大胆な行動に驚かされる。
遊女の姿に身を変えて、路傍に座り、舅ユダを誘い、関係して子どもが生まれるという物語だ。
私たちの時代では考えられないことだが、レビラート婚と言って、古代社会では非常に重んじられていた法だ。
長男が子どもをもうけないで死んだ時、その妻は、次男と結婚して、長男の為に子どもをもうけなければならなかった。長男の為に子どもをもうけ、その子どもが跡継ぎになることによって、一族の秩序が保たれた。
タマルはユダの長男と結婚したが、長男が死んだために次男と結婚した。この次男も子どもをもうけないままに死んだ。ユダはタマルと三男シェラと結婚させたらシェラも失うことを恐れて、タマルを実家に帰してしまう。自分の生きる道が閉ざされたタマルは遊女の格好をして道に座り、舅のユダと関係して子どもをもうけようと図る。ユダは自分の嫁とは気づかず、タマルと関係する。そして報酬として子山羊1匹を届けるまで、保証としてユダの印章と杖をタマルは要求して受け取る。
ユダは子山羊を友人に託して、遊女を探すが見つからなかった。
3ヶ月して、嫁のタマルが身ごもったことを知り、族長として厳しい裁きをなしている。タマルの姦淫の罪を裁くのだ。
「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」
ユダは自分の正しさ、この法(律法)に従ってタマルを裁いている。
しかし、タマルから送られた印章と杖を見せられて仰天し、ユダの正しさが打ち破られる。「わたしよりも彼女の方が正しい」と語るユダ。
「焼き殺してしまえ」とのユダの裁定はタマルを死の底、罪の底、闇の底に沈める言葉だ。しかし、今、ユダも同じ罪の中に沈んでいるものであることが明らかになった。
この深い罪と死の中に沈むユダとタマルの中に新しい命が誕生し、この新しい命がユダ一族を救い、人類の救いをもたらす主イエス・キリストの誕生につながっている。マタイ福音書のキリストの系図にタマルの名が記されている。
「焼き殺せ」と「十字架につけよ」との民衆の叫びが重なる。律法と自分たちの正しさに立って、主イエス・キリストを裁く。しかし、実は、その主を裁く者の罪が激しく問われる。
到底許されない死と罪に覆われた者たちが、その罪の闇のただ中で命に出会い命を受け救われる。すなわち十字架と復活によって救われる。
38章のユダとタマルの物語が、この尊い神の救いを指し示す物語であることを知らされ、ただただ生ける神の救いの業に驚かされる。
越谷教会月報「みつばさ」2010年3月号より
<