みことばに聞く
    
「逆風に立たせる力」

 



「町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。」

使徒言行録17章5節



 パウロの伝道旅行において、伝道と迫害は表と裏のようだ。フィリピで鞭打たれ獄に入れられ、テサロニケでも暴動が起き、町から逃げ出す。次の町でも伝道し、迫害を受け、伝道し、そして信じる者が与えられ、また逃げる。この伝道と迫害はパウロにとって日常的だ。どの町でも、この伝道によって信じる者が与えられ、この信じる者となった者たちによって教会が立てられていく。
 テサロニケの町では、ユダヤ人の会堂でパウロとシラスは「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」(3節)と語り、多くの信じる者を得た。このパウロとシラスの働きを妬んだユダヤ人が、町のならず者を抱きこんで暴動を起こし、「二人を」すなわちパウロとシラスを捜し、ヤソンの家を襲った。
 ヤソンたちは、パウロとシラスを町から逃がすが、町に残ったヤソンをはじめ、信じる者となったテサロニケの人々に注目させられる。
 彼らは、パウロの説教を聞いて信じる者となった町に住む人々である。彼らは逃げない、逃げることが出来ない。テサロニケの町の住民だ。ヤソンの家が襲撃される。ヤソンは捕らえられ、町の権力者のもとに引きずり出される。怒りや憎しみが渦巻く町に留まり、そこで教会を立てて行く。テサロニケに有力な教会が誕生する。







  このような逆風の中に立ち、生かす力はどこから来るのだろうか。
「それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」(テサロニケの信徒への手紙T 2章13節)とテサロニケの信仰者について語っている。
 「神の言葉を神の言葉として聞いた」、「神の言葉として聞いた者の中に神が働かれる」と記されている。
 暴動が起こり、家が襲撃される。その恐怖の中にも信仰者として立ち続け、逆風の中で教会を立てて行く力が、ここに示されている。
 私たちの人生においても、様々な逆風が吹き、その中を生きて行かなければならない。テサロニケの信徒たちを支えた力は、私たちの力でもある。
 毎週礼拝を献げている、礼拝で神の言葉を聞いている。
「神の言葉を神の言葉と信じて聞く者の中に神が働いてくださる」のだ。
 だから、人生の様々な逆風の中で、生きる力が与えられる。
 生きる事ができるのだ。



  

  越谷教会月報「みつばさ」2010年6月号より




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