「熱心に語られ、熱心に聴かれる群れ」
「主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。」
(
使徒言行録19章20節
)
パウロのエフェソでの一日はフル回転だ。朝早くからテント職人としての仕事をし、昼休みにティラノの講堂で毎日語った。エフェソの人々も午前11時から午後4時の昼休み、
この大切な昼休みに講堂に出かけて行って熱心にパウロの語る言葉に耳を傾けた。
熱心に御言葉が語られ、熱心に聴く人々がいるところで示されることは御言葉の力だ。
御言葉は、人間を縛り付けているあらゆる問題から人間を解放する。
エフェソの町は魔術が盛んな町だ。「エフェソの書物」と言えば、魔術の秘伝が記されている本のことであって、大変有名であった。
魔術、神の力を自らのものとし、魔術をもって自分の人生を切り開こうとしたり、魔術の力で自分の問題を克服しようとする。魔術を行った人々の心を捕らえ、商売をする。神の力を人間が思うが儘に使おうとする。
パウロから御言葉を聴き、御言葉から力を受けたとき、自分の罪を懺悔して、自分の生活の中心にあった魔術を捨て、魔術の本を燃やした。
その燃やした本の総額は銀貨5万枚と記される。銀貨一枚は当時の一日分の労働賃金だ、膨大なこの世の価値がある書物が燃やされた。
今まで支えとしていたものを捨てるということは、中々出来ない。
必死になって働いてやっと得た、魔術の秘伝の本。これを焼き捨てたのだ。
魔術が生活の中心にあったということは、同時に生活の不安、その不安を魔術の本に頼って克服しようとしていたということを示している。
全く力がないものを、力があるがごとく頼っていた魔術から解放された。
生ける神の御言葉の力が人々の生活を変えたのだ。御言葉が本当に自分の生活に命と力と希望を与え、人間を縛り付けるあらゆる問題から解放して、力と希望と慰めを与えてくれることを人々は知った。
パウロは懸命に御言葉を語った。そして、パウロという人間ではなく、パウロの語る御言葉の力が示されたのだ。
「主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。」(使徒言行録19章20節)
御言葉が熱心に語られ、御言葉が熱心に聴かれ、神への賛美が歌われる礼拝、この礼拝が熱くなる。
この熱くささげられる礼拝において御言葉の力を深く味わい知り、生活の中心に神の言葉がある信徒の群れとなっていくことが求められている。
越谷教会月報「みつばさ」2010年9月号より
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