「みことばに聞く」

教会報「みつばさ」1月号より

全地よ

牧師 石橋秀雄
「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。……知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民、主に養われる羊の群れ。」
(詩編100編1節、3節)
『日本聖書協会発行『新共同訳聖書』

 2002年の歩みが始まった。
 新聞である哲学者が「21世紀は宗教の時代になる。3000年前に作られた神が今世界に影響を与えている」と書いていた。神という存在が無視できない時代の中にある。「3000年前に作られた神」と哲学者は言う。 歴史に影響を与え、歴史を支配される神は作られた神ではない。そうではなく、神が我々と世界を造られた。
 「全地よ」と呼びかけられている。単にイスラエルだけではない。全地、全世界だ。
 神が支配されているとは思えないところも実は、神の支配の中にあると書かれている。
 「全地を支配されているのは生ける神だ、だから喜び叫べ」と歌われる。  「神は羊飼い」と詩編に歌われている生ける神は、天の上で遠くから見下ろしておられる神ではない。羊飼いになって下さった神だ。羊飼いは非常に卑しい仕事とされていた。羊飼いとして私たちのところに来て、本当に身を低くして私たちを羊のように養って下さると示されている。羊、この弱い動物、一匹では生きられない。群れをなして、しかも羊飼いがいなくては生きていけない羊、この弱い羊を、私たち人間を、愛し養うことを喜びとする神が聖書の神だ。
 羊飼いは羊の為に命を捨てるとヨハネ福音書に記されている。実際に羊を狙う獰猛な獣と戦い命を失う羊飼いもいた。羊が危機の中にある時、その危機の中に飛び込んできて、その命を守り救う羊飼い。神の真実はこの羊飼いの中に示されるという。
 まさにキリストは羊飼いだ。
 人間の危機、それは神に敵対して神に逆らい神の命から離れた危機の中にある人間、それは罪の危機の中にある人間、死の闇が人間を包み絶望の中に滅んでいく人間、この人間を救う為に羊飼いとして私たちの中に飛び込んで来て、この危機から救って下さった。十字架は人間のどん底を示している。このどん底の中に神がキリストにおいて身を置き、そのどん底から救い上げて下さった。
 神の支配はキリストの愛の支配として全地に、私たちの全生活に注がれている。それ故に、どのような状況にあっても「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。」と主を讃美する事が出来る。



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