「心が挫けるとき、地の果てからあなたを呼びます。 高くそびえる岩山 の上に、わたしを導いてください。」 |
(詩編61編3節) 『日本聖書協会発行『新共同訳聖書』 |
この詩人は「心が挫け」て、「地の果てから」祈っている。神の近くにい
ながら神を遠く感じるということがある。神の前に、自分が地の果てにいる
ように思えることがある。
「高くそびえる岩山の上に、わたしを導いてください。」(3節)
神の平安の世界は、はるか高いところにある。この距離感、神の世界に近
づけない距離感、この距離感に詩人は苦しんでいる。 命を脅かす力が迫ってきて、神の近くにいながら神が遠く思えるというこ とがある。 神の力はこの悲惨の中にある者には届かないのだろうか、地の果てにお かれて苦しむものに神の救いの力は及ばないのだろうかと絶望することが ある。 ヤイロは主イエスの足元にひれ伏し「私の幼い娘が死にそうです」と必死 に助けを求めている。主イエスはヤイロの家に向かった。ところが、その途 中で娘が死んだという知らせが届いた。 ヤイロは奈落の底に落ちる思いがした。愛する娘が死んだのだ。「もう 先生を煩わすにはおよびません」と語る。 主イエスは側にいる。主イエスと共に歩いてきた。それでも死んだと いう現実はどうすることもできない。主イエスと一緒に歩いてきた歩みは 止まった。主イエスと共に歩いてきたのに、主が側にいるのに足は止まっ てしまった。 祈っても無駄なことだ。娘は死んだのだ。 しかし、「恐れることはない、ただ信じなさい」と語られた主は、 ヤイロの娘の家に、娘が死んだ悲しみと絶望の中で泣き叫ぶ人々の中に、 地の果てに、主がまず歩き始めてくださる。ヤイロは、私たちは、主の 後に従うだけだ。 主は、絶望の中に、地の果ての中に降りて来て、その痛みを自ら担って 下さった。十字架に死んで下さった。そして復活の主は、「恐れるな、 信じなさい」と語り、救いの道に導いて下さる。地の果てに立ちすくむ 私たちを励まし、主が歩き始めて下さる。 復活と希望の中で歩き導いて下さるのだ。 |