「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『”霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって先例を授ける人である』と私に言われた。」 |
(ヨハネによる福音書1章33節)
『日本聖書協会発行『新共同訳聖書』 |
ご家族の求めに従って、病院にお見舞いに行った。この病院に入院している人とは、教会の葬儀にお出になったことはあるが、その他に来られたことはない。面と向かってお話をするのは、このお見舞いが初めてとなる。 教会の礼拝に来られている方の父親だ。看護婦さんから、本人が興奮すると身体に良くないから「短く」とのことだったので、お祈りだけして帰ることにした。 「アーメン」お祈りの最後に大きな声で言ってくださった。ビックリした。 この大きな声での「アーメン」にわたしの祈りに心を合わせて下さっていることを感じた。 このアーメンの声を聞いて、洗礼の道が開かれた。ご家族に「『イエスを信じますか』と聞いて下さい。『信じます』と応えられたら洗礼を授けます」と伝えた。 「信じます。洗礼を受けたい。 」と応えられたので、その週の木曜日に病室で洗礼式を行った。 病床に臥している時、人生に希望を見出すことができない時、命のへの不安が常にあり、人生最悪のとき、この苦しみの時、その最悪の時が大きな祝福の時となった。 「聖霊によって洗礼を授ける人である」と示される。 主イエスによる洗礼は聖霊による洗礼であることが示されている。主イエスを信じて行なわれる先例は聖霊が働く業だ。 それは神の業だ。洗礼は神の業であることが、教えられている。洗礼によって罪が赦され神の命が与えられる。 「あなたがたをみなしごにはしておかない。」(ヨハネ福音書14章18節)。 聖霊が働くということが、どういうことかということが、このみ言葉の内に示されている。 病床に臥している時も、命の不安の中にいるときも、孤独に苦しむときも、あなたを「みなしごにはしない」。聖霊によっていつも神が私たち共にいてくださるということが、強く示されている。 「洗礼を受けてから心が元気なりました」と話してくださった。どんな状況、どんな現実にあっても神から希望が与えられること、孤独の中で神に深く出会うこと、この幸いが病床洗礼で示された。 |