「イエスは言われた。『帰りなさい。あなたの息子は生きる。』
その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」
(ヨハネによる福音書4章50節)
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2003年の歩みが始まった。1月1日の新聞には、不穏な夜明け、危機の夜明けとあった。この新しい年、どのような問題がわたくしたちの上に覆いかぶさってくるだろうか。命を脅かす脅威が世界を震撼させてきた。今年もこの脅威に苦しむ世界になるのだろうか。
病に愛する息子の命が脅かされている。この危機の中で、必死に救いを求める役人がヨハネ福音書に示されている。
この役人はカファルナウムからカナまで、30キロの一日路を歩いてやってきた。
人間の力ではどうすることもできない病気に、愛する息子が苦しんでいる。そして、死が近い。
この息子の癒しを求めて役人が主イエスのもとに来た。
しかし、主の言葉は冷たい。
「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(48節)
奇跡を見ないと信じない。癒しを見ないと信じない。
癒しを求めても、救いを求めないのだ。救われることが重要なのだ。神の救いに与ることが重要だ。しかし、病気が癒されることだけに心が向けられてしまう。
この役人は食い下がる。ひたむきに主イエスに求めている。
「主よ、子どもが死なないうちに、おいでください」(49節)
必死に求めている。「主よ」と呼びかけている。このお方以外に息子を救ってくれるお方はおられないと確信している。イエスが救い主だと確信している。だから主イエスの言葉を信じて帰って行く。
「イエスは言われた。『帰りなさい。あなたの息子は生きる。』その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」(50節)
主イエスの奇跡を見て信じたのではない。言葉を信じて帰って行ったのだ。
「あなたの息子は生きる」との主の言葉を信じて帰って行くのだ。主の言葉に力がある。
「神は言われた。『光あれ』。こうして光があった」と創世記に示される。
天地宇宙は神の言葉で創造された。この力ある言葉を主は役人に語られる。
役人は主の言葉を信じて、この主の言葉に希望をもって、帰って行った。そして、役人の息子は、役人が主の言葉を信じた同じ時刻に癒された。
主の言葉に力がある。この主の言葉を信じて歩むところに希望が与えられる。2003年がどんな年であっても主の言葉が、わたくしたちに響いてくる。
主の力ある言葉を信じて新しい年の歩みをなすものでありたい。
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