「『わたしはラハブとバビロンの名を、わたしを知る者の名と共に挙げよう。
見よ、 ぺリシテ、 ティルス、 クシュをも、 この都で生まれた、と書こう。・・・』主は諸国の民を数え、
書き記される。この都で生まれた者、と。」
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(詩編87編4節〜6節) |
エルサレムは自爆テロがあり、そしてパレスチナ自治地区に対する報復攻撃がなされている。
聖公会はガザ地区にアハリー・アラブ病院を経営している。この責任者のエルサレム聖公会リアハ・アブ・アサル主教は「エルサレムに平和が到来すれば、全世界に平和が到来する」と日本の教会にメッセージを送ってきた。ガザ地区などの自治地区はイスラエルの激しい監視体制の中にあって、病院にも簡単にはいけない不自由を強いられる。
兄弟が兄弟を殺しあう悲惨な現実がパレスチナの現実だ。もう何千年と争い続けて来た歴史がある。
この詩人もエルサレムに立って、血の争いをして来た歴史を知っている。兄弟や肉親が殺された痛みを知っている。
自分の兄弟が、自分の先祖が痛めつけられた苦しみを詩人は知っている。しかし、今、エルサレムの神殿に来て、このエルサレムに心を向けられている神を見つめる。
神に集中する時、今まで心が束縛されていた、自分の兄弟が、自分の祖先が、自分の民族がと考えてしまう、狭い考えから解放されていく。自分の兄弟が、自分の祖先が、自分の民族が痛めつけられたという思いから出る憎しみや怒りから解放されている。
ラハブはエジプト人を指し、バビロンやペリシテ、クシュ、このクシュとはエチオピアだ。これらの国々、民族はイスラエルを支配したり苦しめたりしてきた民族です。このような現実の中では民族主義が高まっていく。しかし、詩人は「神は、すべての民族を神の都から生まれた者とされると決意された」と語る。
今、敵対している民族と民族、国と国「すべて神から生まれた者」と、神はしてくださるというのだ。神から生まれた者はもはや敵意も憎しみも無い、全て神の前に一つにされた神の民である。
この詩人に示された神のご意思は、主イエス・キリストにおいて成就した。
「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ二章一五節〜一六節)
憎しみと怒りが渦巻くところから神の命が、十字架の愛が示される。エルサレムが平和であれば世界は平和であるといわれるエルサレムで、主イエス・キリストは十字架におかかりになり死んでくださった。エジプト人、バビロンやペリシテ、エチオピアも、そしてわたし達、全ての者が神の赦しと祝福を受ける道が開かれたのだ。
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