「それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」
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(ヨハネによる福音書7章33節〜34節) |
人間は「どこに行くのか」との問いは、重大な問いである。人間は死んで墓に納められてお終いなのか、そうではない希望の明日をヨハネによる福音書は、示している。
「どこから来て、どこに行くのか」このことがヨハネによる福音書の重大な関心事だ。
主イエス・キリストは「どこから来て、どこに行くのか」を、ヨハネは力を込めて語る事によって、主イエスが、救い主であることを証言する。
主イエスは「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」と語られている。主イエスは神から遣わされたのだ。そして、神のもとへ帰る。主イエスは「どこから来たのか」「天の神のもとからこられた」。「主イエスはどこに行くのか」「神のもとに、天に、神の世界に行かれる」。この「神の世界には誰も行くことは出来ない」「神との関係は閉ざされてしまっているからだ」と示されていく。
希望は閉ざされている。主イエスの行くところに行くことができないからだ。
「人はどこにいくのか」、人は主イエスのところに行くことが出来ず、最後には死んで、墓に納められて、滅んでしまうのだ。最後には絶望を味わう存在なのだ。
主イエスの行くところに行けない。神の世界に行けない。神の世界が閉ざされている。
しかし、「時が満ちて」「主イエスの時が来て」、主イエスは十字架にかかり死んで蘇り、神のもとに帰られた時、希望の道が示される。
主イエスが天に昇られた後、聖霊が与えられる。聖霊が働いて、救いの道を示し、天への道を指し示す。
聖霊は、わたし達の内側に働いて、主イエスのところに導いてくださる。主イエスの救いの道を教え、閉ざされた天への道、決して行くことが出来なかった神の国、永遠の世界に導いてくださるとヨハネによる福音書は、語っていく。「人はどこに行くのですか」と問われる。
人は主イエスを信じ、主イエスにつながり、主イエスが開いてくださった神の世界に、主イエスが復活して行かれた世界に行く。キリストの教えは最後のところで「大きな希望」を示している。
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