みことばに聞く
    
「それでもなお」 ―神の真実―

「それでもなお、わたしは慈しみを彼から取 り去らず、わたしの真実をむなしくすることはない。」

(詩編89編34節)

 12月5日第49回東京女子大学メサイア演奏会に行った。指揮者の池宮英才先生を二週間前に失い、急遽オルガニストが指揮をした。池宮先生の心を心とする素晴らしい感動的なメサイアの演奏で涙がでてきた。
 池宮先生が倒れられ、最後のご様子が話された。池宮先生は病院で最期の時メサイアのテープを聴かれて最後の「アーメンコーラス」が終わると息を引き取られたと聞かされた。最後にアーメンの言葉に包まれて神の元に行くことができたというところに、大きな慰めと希望が示された。
 主イエスがメシア、救い主であることを喜び、たたえる人生を歩み抜き、そして、最後に「アーメン、誠に、誠に、その通りです。アーメン」と言って、救い主を指し示して人生を全うされたことに感動させられた。
 詩編89編の詩も最後に「アーメン、アーメン。」との言葉で終わっている。 最後にアーメンと言える人生に希望があることが示されている。 詩編89編で「それでもなお」との言葉が、心に響く。
 「神はダビデを選び、ダビデの子孫を祝福された。」しかし、ダビデの子孫は「神を裏切り、神の言葉を空しくし、神を拒絶する罪」を犯してしまった。
 「それでもなお、わたしは慈しみを彼から取り去らず、わたしの真実をむなしくすることはない。」(34節)
 人間のよりどころは、ただただ「神が真実な神」であるところにある。
 「聖なるわたし自身にかけて、わたしはひとつのことを誓った。ダビデを裏切ることは決してない、と。」(36節)
 ダビデの子孫は神を裏切った。「それでも、神はダビデを裏切らない」と語られている。神は、ご自分が語られた言葉に誠実な真実の神であることが示されている。
 主イエスはダビデの子孫として、ダビデの町ベツレヘムに誕生された。
 神は、ダビデの子孫に裏切られて、人間に裏切られた。「それでもなお」ご自分の契約に誠実であり、ご自分の言葉に誠実なお方であることが示されている。
 主イエスは十字架にかかり、人間の裏切りの罪を背負われた。そして、同時に十字架によって「それでもなお、慈しみを取り去らない」という神の恵みを、神の赦しの恵みを示された。ダビデに語られた慈しみの神、なお赦し、なお憐れみ、なお救う真実な神の業が、クリスマスに誕生された主イエスによって示される。
 人生の荒波を潜る中で神は真実なお方であった。主イエスは、救い主であられた。アーメンと最後に告白できる人生が私たちにそなえられているのである。



  

  教会報「みつばさ」2003年12月号より