「しかし、神は憐れみ深く、罪を贖われれる。彼らを滅ぼすことなく、
繰り返し怒りを静め、憤りを尽くされることはなかった。」
(詩篇78編38節)
|
旧約聖書の人々に悲劇、それは「神の驚くべき御業を、忘れてしまうところにあった」と
詩篇78編の詩人は語っている。人間の悲劇は、神の言葉、神の業を「ことごとく忘れてしまった」(11節)
ところにある」とも詩人は語っている。
詩人は「イスラエルの先祖の頑な反抗の世代」について目を向けさせる。
サウルは神の選びによってイスラエルの最初の王となる。神の言葉と力によって王としての使命を果たす
ことができた。しかし、自分の力を過信して、神の業をことごとく忘れてしまった。その結果、惨めな敗北を
喫して自らの命を絶ってしまった。
イスラエルの民はエジプトの強制労働から神の力で解放され、荒れ野を40年間旅をした。その40年間に
数々の神の驚くべき御業に助けられ、救われて旅を続けていった。神の恵みに支えられた40年間であったが、
同時に罪を重ねる旅でもあった。
神は岩を開いて水を湧き出させて、イスラエルの民の渇きを癒した。しかし、水を
与えてくださった神が共にいてくださる喜び、神を讃美するところで、つぶやきいた。「パンがない、
肉がない」と。イスラエルの民の欲望を神は満たされた。
しかし、肉(神の恵み)を口にいれながら、明日の心配をし、明日のため肉を集め始めた。今日、
人々の思いを満たして支えてくださる神に感謝して、明日をこの主にゆだねれこと、
神に信頼することが出来なかった。神の怒りが燃え上がり、神の裁きが下ったところで、
イスラエルの民は「神を求め、神に立ち帰って、神を捜し求めた。」(34節)
しかし、神を讃美し、神を礼拝するところで神を軽んじ、神を侮った。
「しかし、神は憐れみ深く、罪を贖われる。彼らを滅ぼすことなく、繰り返し怒りを静め、
憤りを尽くされることがなかった。」(38節)と語られている。
罪に罪、反逆に反逆を重ねる人間。この人間への、わたくし達への神の怒りが燃え上がる
とところで、驚くべき神の忍耐が示される。神は「怒りを静め」「罪を贖い」「恵みの神」
「憐れみの神」であることを示されている。
この憐れみの神は、十字架の主イエスに強烈に示されている。神の怒りが燃え上がるところで、
神の愛が燃え上がる。頑な人間の罪を背負って十字架に死んでくださった。十字架でわたくし達の
罪をあがなって下さった。驚くべき神の業、神の憐れみが十字架の中に示される。
|