みことばに聞く
    
   「凄まじい現実・凄まじい祈り」


「あなたの僕らの死体を空の鳥の餌とし、あなたの
慈しみに生きた人々の肉を地の獣らの餌としました。」
(詩編79編2節)

 イラク戦争で凄まじい破壊を見せ付けられた。
エルサレムが破壊され瓦礫の山となっている。凄まじい破壊だ。
神を信じるものが無残に殺され、いたるところに転がっている。神の慈しみの中に生きた人々の死体を獣が餌としている。おびただしい血がながされ、その血が川のように流れている。この悲劇を敵の者は大喜びで見つめ「神を信じて何になる」と嘲っている。
 この状況の中で、この現実の中で詩人は神にしがみついて祈っている。
大きな不安、激しい怒り、どうしようもない無力感が、率直に訴えられている。凄まじい現実の中での凄まじい祈りだ。
 「いつまで続くのですか」と神のしがみつき、今救ってください、今神ご自身が戦い、自分達を滅ぼした敵に「七倍にして返してください。」(一二節)と神に報復を求めている。
 凄まじい現実の中での凄まじい祈。主イエスは十字架において、この凄まじい現実の中に身を置いてくださったのだ。十字架の上で凄まじい祈りを祈られた。
詩編79編の痛みを神が、主イエス・キリストにおいて受け止めてくださり、その人間の痛みを痛んでくださっている。この凄まじい人間の痛みを罪を怒りを不安を、無力感をそして報復を主イエス・キリストが十字架の上で担われた。
 「わが神、わが神どうして私をお見捨てになるのですか」と凄まじい人間の悲劇のなかでの祈りを祈って死んでくださった。主イエスは「七の七十倍赦せ」(マタイ7・21〜22)と教えられている。主ご自身が「七の七十倍」赦してくださった。「もうあなたの罪を数えない」と宣言してくださっている。
 凄まじい現実の中での凄まじい祈り。この祈りを主イエスは十字架において祈られた。
 神は人間の極限の祈りを聞いてくださる神。極限の中にいる人間を救い上げる神であることが主イエス・キリストの十字架で示されているのだ。

※絵:シャガール作


  

  教会報「みつばさ」2003年5月号より

教会員N家より



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