「イエスは答えて言われた。『つぶやきあうのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。』」
(ヨハネによる福音書6章43〜44節)
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私たちはよくつぶやく。生活の中で味わうやりきれない思いが、つぶやきになる。つぶやきの中に深い孤独がある。
つぶやきが、人間関係をゆがめてしまうということもある。聖書は「つぶやく生活」から解放されて信じる生活に、つぶやきを賛美に変える力を指し示す。
主イエスは「わたしは天から降(くだ)ってきたパンである」と宣言され、この事が人々のつまずきになり人々はつぶやきはじめた。神に対してつぶやくことがある。神に対してつぶやき、「神の恵みの業」が見えなくなってしまうことがある。
「イエスの父を知っている、母を知っている。ヨセフを父としマリヤを母として誕生したイエスではないか」とつぶやきはじめた。「天から降ってきた」「神と一つである主イエス」が示されたことにつまずきつぶやいている。
「つぶやき合うのはやめなさい」(43節)と主イエスは強く教えられている。強く言われなくては分からないのだ。主イエスは時に厳しく教えられる。
「つぶやき合う」ことで人間関係が暗くなるということがある。特に神に対するつぶやきは、神の業を見えなくしてしまう。
神の業が見えなくなるということは、神の命と力を受ける道、永遠の命の道が閉ざされることになってしまう。
その道が閉ざされることがあってはならないのだ。
「父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。」(44節)
引き寄せるという言葉は非常に強い表現だ。それは、非常に重いものを引き寄せる。力いっぱい引き寄せるという意味がある。神が力いっぱい引き寄せてくださるというのだ。神と一つであるお方が、人間になってくださった。マリヤを母とし、ヨセフを父として人間の中に誕生された。神が身を低くして、人間の中に入り、そして、十字架にかかって死に、そして、復活された。
十字架の死、これ以上に低いところはない。人間のどす黒い罪の中に主イエスは沈んでくださった。そして、この底の底から人間を引っ張り上げて下さったのだ。この神の愛に揺り動かされて、私たちは主イエスのところに導かれた。この主イエスの十字架に示された強烈な神の愛を知る時、つぶやきは賛美に変わる。主イエスは私たちを罪のどん底から神の命の世界に引っ張り上げて下さった。そして「わたしは天から降ってきた命のパンである」と宣言してくださり、神の世界の命、永遠の命を与えてくださった。
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