信じて待つ
「主に向かって歌い、ほめ歌をうたい、驚くべ
き御業をことごとく歌え。」 |
(詩編105編2節) |
キリスト教保育の心(子育ての心と言っても良い)は、一言で言えば「信じて待つこと」だ。「信じて待っていて良かった」といえる子どもの成長を実感できる時が必ず来る。かなり忍耐を必要とすることもある。なぜ信じて待てるのか。それはキリスト教幼稚園・保育園は「信じて待つ」ことの喜びを知っているからだ。
信じて待ったら、思いもよらない大きな喜びが与えられた。信じて待ったら救い主が与えられた。信じて待ったら、深い闇から導き出されたのだ。
神の約束の言葉を信じて待ったら、思いもよらない大きな祝福を受けた、救いの喜びを深く味わった。この神の業が詩編105編で示され、高らかに主が讃美されている。
105編の詩人はアブラハム、イサク、ヤコブ、という三人のイスラエルの歴史のはじめの族長達について語り、そして、ヨセフ、モーセ、出エジプトとイスラエルの歴史を思い起こして語っている。
イスラエルの歴史はアブラハムから始まる。その民族のまず始めに響くのは神の約束の言葉だ。
「あなたを祝福する人をわたしも祝福する」と神は約束された。アブラハムは子どもが、与えられていなかった。しかし、神は夜空の星を示して、「アブラハムの子孫は、この星のように、到底数える事が出来ないほどになる」と約束してくださった。その約束をアブラハムは信じた、と創世記15章に記されている。
アブラハムは百歳になろうとしていた。サラは90歳になろうとしていた。子どもが出来る年ではない。しかし、神の約束を信じて待った。そうしたら、イサクが与えられた。思いもよらない大きな祝福でアブラハムとサラは満たされた。
神の約束を信じて待ったら、大いなる喜びの時を迎える事が出来たのだ。
神の驚くべき御業を知ったのだ。
「主に向かって歌い、ほめ歌をうたい、驚くべき御業をことごとく歌え。」
詩編105編の時代、敗北の悲劇の中から国の復興を図る。その中心は歴史の中に豊かに働かれた神を思い起こすことだった。歴史の中に示された驚くべき御業を思い起こし、この主を誇り、主の御力を求め、主の御顔を求めることを第一にして、イスラエルの復興を図っていった。
神は人間の苦しみを見た、罪に苦しみ、死に苦しみ、様々の問題に苦しむ人間を知った、そして降りて行って救うと約束された。この約束が主イエスの十字架の業において実現した。
信じて待ったら主イエス・キリストの救いが与えられた。この、クリスマスに向かう時、信じて待つ喜びをふかく味わうものでありたいと思う。
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