みことばに聞く

救いを見た

(撮影:N兄)

「生涯、彼を満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」
(詩編91編16節)
      

この詩編91編は、長い聖書の歴史の中で危機の中にいる信仰者を支えてきた詩だ。
 神の許に隠れ家を見出し、神に信頼する者は、どんな危険の中でも守られ、強められて生かされると歌われている。
 詩編は卓上の詩ではない。具体的な生活の中で、その闘いの中で与えられる信仰の確信が歌われる。
 病が信仰者を苦しめる事がある。夜、病の痛みに眠れぬ地獄を味わい、昼のものすごい暑さが、矢のように病に弱った身体に突き刺さってくる。昼の危険、夜の危険が病に苦しむものを容赦なく襲う。
 戦争は日常的だ。いつ命を奪われるか分からない。戦争で「あなたの傍らに1千の人、あなたの右に1万の人が倒れる」(7節)。その中で自分の無力を思い知り、恐怖におののく現実がある。
 このような危機の中で、唯一つ、支えとなる場がある。それが神を信じるという信仰だ。
 「神はあなたを救い出してくださる」(3節)
 ヴァイザーの訳が心に響く。
「あなたを救うのは神だからです」。
 誰がそのような現実から救う事が出来るだろうか。
 いと高き神がおられる。「あなたを救うのは神です」とその確信が力強く語られてくる。
 「あなたは主を避けどころとし、いと高き神を宿るところとした。」(9節)
 主を避けどころとする時に、主があなたに宿ってくださる。いと高き神を宿す。身近に感じながら、神の力を肌で感じながら生きる事が赦される。だから「あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。」(11節)と告白される。
 どこの道においても守られる。
 獅子や毒蛇に突然襲われる危機。その危機も乗り越えて歩んで行けると告白されている。
 主は「苦難が襲う時、共にいて助ける」(15節)「生涯、彼を満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」(16節)と主の言葉が示されている。
 神を信じる人生は「救いを見る」事ができる。
 主イエス・キリストは十字架によって全存在をかけてわたし達を救い上げてくださった。聖餐式で、この神の大いなる救いを見て、肌で味わい、わたしの神がわたしと共にいてくださると知る。どんな道、どんな人生であっても守られる、導かれると言う事を深く知らされる。わたし達の人生の中で繰り返し「この救いを見た」と告白して生きる事が許されている。
 

(「みつばさNo.237、2月号」より転載しております)

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