断固たる神の御意思



「主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。….主は来られる。地を裁くために来られる。主は世界を正しく裁き、真実をもって諸国の民を裁かれる。」
(詩編96編10節、13節)
      

 天地がひっくり返って、自分の立っているところが揺れ動いて、動転してしまうということを人生の中で何度か経験する。揺れ動く問題の只中にいるわたしたちに、「主こそ王」だから「世界は固く据えられ、決して揺らがない」と御言葉がしめされる。
神が王として、具体的にわたしたちの中に働いてくださる、わたしたちの中に神の正しさが示される。「だから揺るがない」と教えられる。
「主は来られる。主は世界を正しく裁く」。
この御言葉は主イエス・キリストを指し示しているとされて、クリスマスに読まれてきた。
 主が、神が正しく裁かれるということは、神の正しさが示されるということだ。神の正しさの前に、罪が裁かれ、罪から救われて、神の愛の恵みの中に生かされる時が来る。神の正しさとは、神の御意思だ。「第七日の日を神は祝福し、聖別された。」(創世記2章3節)創造物語の最後の言葉だ。ここに天地創造の目的、神の御意思が示される。「祝福して、神のものとする」「祝福して神の命の世界に導く」ことが神の御意思だ。この神の御意思は変わらない。相手がどんな人でもこの神の御意思は変わらない。
主イエスのお働きの中に、この断固とした神の御意思がしめされる。
「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」(ヨハネ福音書13
章1節)
「この上なく愛し抜かれた」ということは「最後まで愛しぬく」ということだ。弟子たちは主を裏切ってしまう。主が十字にかかるときは逃げ去ってしまう。その裏切りの弟子たちを最後まで愛し抜かれるのだ。弟子たちの心は裏切り、変わることがあっても主イエス・キリストの愛は変わらない。「世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない」とは、世界の中に変わらない神の愛が示される、だから「決して揺らぐことがない」のだ。
神の愛は聖霊によってわたしたちの確かな支えとなる。
「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。…わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」(ヨハネ福音書14章16節、18節)
弁護士は徹底的に依頼人の側につく。どんな時でも、どんな破れの中にあっても、聖霊の神はわたくしたちの側にいてくださる。「わたしはあなたがたをみなしごとはしない」との断固とした神の御意思が示される。
 聖霊なる神が、どんなときでも、どんな場合でも、どんな破れの中にあっても、罪の中に落ち込んでいる時でも、救い上げる。「見放さない、見捨てない、あなたを最後まで愛しぬく」と神の断固とした愛が示される。だから「決して揺らぐことがない」と告白することができるのだ。


(写真撮影:N兄)
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