百舌
「朝早く起き、夜おそく休み、焦慮してパンを食べる人よ、それは、むなしいことではないか、主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。」
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(詩編127章2節) |
詩編127編には「むなしい」という言葉が三度使われています。
「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなしい。」(1節)
懸命に家を建てる。安全な住まい、安らぎを与えてくれる住まいを造る。この家を、町を守る為に夜中見張りをする。
しかし、町が盗賊や外国の軍隊に踏みにじられる。懸命に見張りをしても、家が破壊され、命を狙う者たちが町の人々を脅かす。
その悲劇をいやというほど味わってきた。
人の手によって、大切な町の人々の命を本当に守ることが出来るだろうか。人の手で造られた家は、本当の安らぎの場となるだろうか。
人の手、人の力の限界を思い知った人々は、「主が家を建てられるのでなければ、建てるものの骨折りはむなしい。主が町を守られるのでなければ、夜回りが目を覚ましているのはむなしい」(ヴァイザー訳)と歌う。
人間の力の限界が示される。
食べる為に働き、働くことが出来るから食べることが出来る。何の為に働いてきたのだろうか。自分の人生の目的が分からない、結局は「朝早く起きて、夜おそく休み、焦慮してパンを食べる」、人生とは結局「骨折ってパンを食べるだけだ。むなしい」と2節で歌われている。
「むなしさ」を人生のあらゆる場面で感じながらわたしたちは生きている。
このわたしたちに大きな慰めの言葉が響く。
「主は愛する者に眠りをお与えになるのだから」。この2節はヴァイザーの訳では次のようになる。「主は、主の者たちには、眠っている間によきものを与えたもう」。
眠っている時にとは、わたしたちの知らないところで、神は働いてくださっているということだ。
起きている時、朝早くから夜遅くまで働く、しかも、むなしさと不安と恐れがある。自分の力の限界、人間関係のゆがみ、子育ての悩み、いろいろな問題にぶつかりながらむなしいとつぶやいてしまう。そのようなわたしたちに神は「わたしたちが眠っているとき働かれる主」であることが示される。
「むなしい」と頭を抱えてしまう現実、その闇の中に光がともる。
神はわたしたちの知らないところで闇を照らす光を与えてくださる。人間の知らないところで闇を克服する力を示してくださる。
クリスマスは闇の只中に、主イエス・キリストの誕生と十字架と復活は、無くてはならないただ一つの良いものをわたしたちの救いの為に、神が備え働いてくださった。
このお方のお働きにふれ、神の大いなる救いの御業にふれた時、「むなしい」とつぶやいていた口から神への賛美の歌が湧き起こる。
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