みことばに聞く




和解・平和・命
 


「すべての国よ、主を賛美せよ。すべての民よ、主をほめたたえよ。主の慈しみとまことはとこしえに、わたしたちを超えて力強い。」
(詩編117編1〜2節)

      

 国と国、民族と民族とが、対立し、命が奪われ、命を脅かされて生きざるを得ない悲劇が、人間の歴史に繰り返されている。政治の枠組みの中に個が、人間が沈む、国の枠組みの中で個が、人間が沈み、その悲劇、人権が奪われていく悲劇が世界の中に広がっている。この悲劇を克服する道が聖書に示されている。
詩編117編は僅か2節しかない。小さな詩編だ。しかし、ここに示されている事は壮大だ。世界に向かって呼びかけられている。
政治の枠組みを超えて、国の枠組みを超えて、人と人とがどこで一つになられるか、どこで一致することができる、平和と和解をもたらす道が示されている。
「すべての国よ、主を賛美せよ。すべての民よ、主をほめたたえよ。」

 全ての国、全ての民に呼びかけられている。賛美は喜びがなければ賛美とはならない。
本当の喜びの世界への招きだ。全ての国、全ての民族が本当の喜びの世界に招かれている。全ての国が、全ての民族が、一つの喜びで満たされる。そこで、全ての人間が生きている世界の枠組みを超えて、一致の道がある。
「主の慈しみとまことはとこしえに、わたしたちを超えて力強い。」(2節)
主の慈しみとまことの神だ。
 人間の世界は変わる。しかし、神は変わらない、この変わらないというところに、人間の癒しと救いがある。
 神に目を向け、神から示される事は、強制や支配ではない、癒しと救いである。
ローマの信徒への手紙5章6節〜11節には「弱かった頃、不信心な者、罪人であったとき、キリストは血を流してくださった」と。ありえないことが起こったパウロは驚きを持って語っている。罪人、敵であったものを愛する神のありえない、とてつもなく大きな神の愛が示されている。
 キリストは十字架によって、罪から開放されて、神の怒りから開放されて、神の平和の中に、神の平安の中に生かされる。
 神の和解の中で、神の命が与えられて生かされる。信じられないような神の愛がわたくしたちに注がれている。だから、喜びがあふれて、神を賛美するのだ。神から、癒しが、平和が、平安が、命が、和解が与えられる。この神を賛美するものへと全ての国、全ての民族が招かれています。そして、神の和解を受けて、国と国、民族と民族、人と人との和解が、平和が広がる。詩編117編は全世界に向かって平和の道が示され、呼びかけられている壮大な詩である。



(かわせみ 撮影:N大T.H)
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