みことばに聞く




御言葉を楽しむ
 



「あなたの律法を楽しみとしていなければこの苦しみにわたしは滅びていたことでしょう。」
(詩編119編92節)

      

 生活の中に楽しみがあるということが、生きる支えとなる。生活の中に楽しみがなくては、生きていけないと言ってもいい。「夢中になって、本気になって楽しむものがある」ということが生き甲斐となり、生き生きとした人生を歩む力となる。
 わたしはスポーツが好きだ。テニスを楽しんでいる。しかし、このテニスはやがて楽しめない時がくる。体力を必要とするからだ。
 主はどのような現実、どのような状況においても楽しみとすることが出来る楽しみをわたしたちに与えてくださった。
 「いかに楽しいことでしょう、主に感謝をささげることは」(詩編92編2節)
主に感謝をささげ、賛美する楽しみが与えられている。
 御言葉を楽しむ喜びが与えられている。
 この楽しみは、どのように身体が衰えても、どのような問題の中にあっても奪われることはない。

 

 この詩編119編は詩編の中で一番長い詩だ。詩編119編は「掟、律法」という神の言葉を楽しみ、喜ぶ思いが、あふれ出ている。主の言葉を味わえば「蜜よりも甘い」(103節)と歌われ、さらに「あなたの律法を楽しみとしていなければ、この苦しみにわたしは滅びていたことでしょう。」(92節)と告白されている。
 人生の中で人間は「もうおしまいだ、もう駄目だ」と思える絶望を味わうことがある。深い悲しみの中に、命を失う絶望の中に陥れられてしまうことがある。人生を揺り動かす苦難、命を脅かす力に打ちのめされる絶望。その現実の中で、奪われない楽しみがある。この楽しみが絶望の中を生き抜かせる力となる。
「神の言葉を楽しみとしていなければ、この苦しみにわたしは滅んでいたことでしょう」と歌われる。
 わたしたちは、主イエス・キリストの十字架の大いなる愛の業、愛の言葉の恵みの中に生かされている。
「十字架の言葉を楽しみとしていなければ、この苦しみに滅びていたことでしょう」と告白することが出来る。
 御言葉を楽しむことが出来る。この御言葉を楽しみ、御言葉に夢中になり、主を賛美することを楽しむ。
 この楽しみが、人生を支え、生かす力だ。



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