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あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。
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(ヨハネによる福音書16章33節) |
ヨハネ福音書で強調されていることは、主イエスが、「父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」(28節)というお方であるということだ。
すなわち主イエスが神のもとから遣わされて、神のもとに帰っていく、そのような神と一つであるお方であるということだ。この事を弟子たちに主イエスはハッキリ語り、そして、主イエスの弟子たちは「あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」(30節)と告白している。この告白へと導く事がヨハネ福音書の目的だということもできる。
この告白から開かれる世界、それは救われた喜び、生かされる喜びを深く味わう事が出来る世界だ。
「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
この主イエスのみ言葉にどれだけの人が、救われ、励まされ、生きる力を与えられることであろうか。
主イエスのお別れの説教の最後のみ言葉である。
この説教が始められる最初のみ言葉を思い起こす。
「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」(13章1節)とある。
「この上なく、最後まで愛し抜かれた」。トコトン最後まで愛し抜かれる神の愛、主イエス・キリストの愛が示される。
「あなたが神のもとから来られたと、わたしは信じます。」と告白す ることで、心に深く、強く響く事柄は、このように告白する弟子たちを最後まで愛し抜かれる神の愛だ。
十字架の死、このような残忍な死をとげる主イエス・キリスト。「あなたが神のもとから来られたことを、わたしは信じます。」と告白した。その主イエス・キリストが十字架に死んでくださったのだ。
最後まで愛し抜かれる神の愛の物凄さが示される。人間に代わって死んでくださる。わたしたちの罪を背負って死んでくださる。罪の死から救いあげる神の愛。罪の中にいるわたしたちを、死に支配されているわたしたちを、最後までトコトン愛して救い上げる神の愛が、とてつもなく大きな愛が示される。
十字架に向かわれる主イエス・キリスト。もうすでに勝利されたのだ。神の救いの業が完成されるからだ。
罪も死も人間を縛る力とはなり得ない。主イエス・キリストは罪と死に勝利された。最後まで愛し抜かれる神の愛を阻む十字架の勝利によって罪も死も無力にされた。
この世では苦難がある、不安がある、悩みがある。しかし、「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」とわたしたちを励まし続けて下さっている。
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