「あなたの手が労して得たものはすべて、あなたの食べ物となる。…食卓を囲む子らは、オリーブの若木。…多くの子や孫を見るように。イスラエルに平和。」
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(詩編128編2,3,6節) |
2005年、戦争そして、その戦争がもたらすテロによって無残に沢山の命が奪われた。日本の社会でも、幼いかけがえのない命が無残に奪われる事件が重なり起きた。
2006年の祈りは「平和」だ。世界に平和がもたらされるように世界の教会が祈りを合わせることが求められる。
詩編128編の時代に考える平和は、2節「あなたの手が労して得たものはすべて、あなたの食べ物となる。」ということだ。
蒔いた種、育っていく穀物、これが、収穫の喜びにつながらない時代である。
外国の軍事力で、畑が踏み荒らされ、外国の軍隊で、収穫したものが奪われる。あるいは南の砂漠から吹いてくる熱風によって穀物が焼かれたり、枯れたりしてしまう。労働が報われない。
この詩編が生まれる時代の人々は労働が報われない悲劇を知り尽くしている人々だ。彼らが思う平和は「労働が報われる」ということだ。「自分の蒔いた物を、すべて収穫して、自分の食べ物となるということが平和」である。
同じことが家庭についても言える。家庭が破壊されるという悲劇を知っている。外国の侵略によって家庭が破壊される悲劇を知り尽くしている。
詩編128編が示す平和は、ひとりの人の労働が正しく報われ、家庭の中でひとりも失われないで、子どもがスクスクと育ち、「多くの子や孫を見ることが出来る」、これがイスラエルという国の平和だ。
イスラエルの平和は、一人ひとりの労働が報われる。家庭の中で一人も失われない、そこにイスラエル全体の平和があるという。
イラク戦争でイラク人3万人、アメリカの兵隊が2千人犠牲になったとアメリカの大統領が認めた。
イラクの民主化のためには仕方のない犠牲者と見られている。国の平和を守る為に、武力による犠牲者が出ても仕方がないとの見方がされる。そして、家庭の中のかけがえのない一人ひとりが失われている。
3万2千人という家庭の中で失われてはならない一人が失われてしまった。
「家庭の中で一人も欠けるものがあってはならない」、「一人も欠けない時代が平和な時代である」と、「ひとりの重さ」を示される聖書の御言葉を、今日、この時代に深く聞く事が、平和な社会を作る力であることを考えさせられる。
神の祝福は一人ひとりに注がれている。一人の労働が正しく報われ、家庭の中で一人も失われない、この「ひとりに注がれる神の祝福」それがイスラエルの平和、世界の平和につながるとの128編の詩人の詩に聞く事が、今日求められている。
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