兵士が手にする衣


「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」
(ヨハネによる福音書19章24節)

 ローマの兵士は主イエスを十字架にかけた。十字架の下では、ローマの兵士たちは、主イエスから剥ぎ取った衣服を分け合っている。
「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」(ヨハネによる福音書19章24節)
 詩編22編19節の御言葉の実現であるとヨハネによる福音書はしるしている。
 マルコによる福音書では、主イエスが十字架上で、この詩編22編の最初の言葉「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。」と叫んで息を引き取られたことを記している。この主イエスの十字架上の叫びは人類の叫びだ。人間は最後には自分の無力に絶望し、神に見捨てられ、罪の中に、孤独の中に滅んでいく以外にない存在だ。
 この全人類の悲痛な叫びを主イエスが叫んで下さっている。
 ヨハネによる福音書は衣服を剥ぎ取られた主イエスを指し示す。
 衣服を剥ぎ取られるということは、無力な姿をさらけだすということだ。罪に対して、死に対して、人間は無力だ。神に見捨てられたら、無力の惨めな姿をさらして滅ぶ以外にない人間。この無力な、惨めな人間を神と一つであるお方が担って下さった。
 この主イエスの十字架の下に四人の兵士たちがいる。彼らは主イエスの衣服を手にしている。主の上着を四つに裂いて分け合った。さらに、下着は縫い目がないためにクジで決める事にした。
 縫い目がない下着、祭司の衣服は縫い目がない。そして、祭司の縫い目のない衣服は世界が一つである事を指し示しているといわれている。縫い目のない下着が兵士たちの手にある。
 主イエスを十字架にかけた兵士たち、主イエスを十字架で処刑する兵士、この兵士の手に、天と罪のこの世界が一つになった。罪の世界に十字架がたてられ、世界の罪、兵士の罪が赦されて、天と地の世界が一つになる。主イエスによって一つにされることを象徴的に示す縫い目のない下着である。その縫い目のない下着が兵士たちの手にある。すなわち兵士たちのために主イエスは十字架に死んでいかれる。この兵士たちを救うために主イエスは十字架に死んでいく。
 兵士の手にある衣服は、すべての人々、赦されない罪を犯して滅ぶ以外にない、神に見捨てられて滅ぶ以外にない人々を救う為に、主イエスは十字架に死んでくださった事を示している。
 ヨハネによる福音書は次に、四人の婦人たちが、十字架のすぐ近くで主を見つめていることを記している。
 十字架の下に立ち、十字架を見上げる。そこに救いの道が、あらゆる人の救いの道が開かれる。


Back