永遠にわたしの憩いの地


「これは永遠にわたしの憩いの地。ここに住むことをわたしは定める。」
(詩編132編14節)



 ダビデはイスラエル十二部族を統一し、さらに、「神の箱」をエルサレムに運び、「神の住まうところ、憩いの地」にするために、全力を注ぐ。この神が喜ばれる良い業は、一度挫折する。
エフラタにとどまっている「神の箱」を、ダビデも参列して、歌や楽器の演奏をし踊りながら、エルサレムに向かって運び出す。しかし、途中で荷車が傾き、これをウザが支えようとして神の怒りを買いウザはその場で死んでしまう。ダビデは恐怖におののき「神の箱」を運ぶのを断念する。
「神の箱」はオベド・エドムの家に運びこまれる。オベド・エドムはペリシテ人だ。偶像礼拝をする者だ。オベド・エドムにとっては迷惑な話だ。ところが、オベド・エドムは神の祝福を受ける。神はオベド・エドムの財産を祝福される。最初は迷惑な話だと思ったに違いない。しかし、「神の箱」の故に大きな喜びに与ることになる。
 オベド・エドムに何か優れたところがあったわけではない、ただただ神の一方的な恵みに与ったのだ。
 オベド・エドムを神が祝福された事で、神の赦しを知ったダビデは、再び「神の箱」をエルサレムに運ぶ。その時のダビデの振る舞いは、ダビデの妻、サウル王の娘ミカルをあきれさす。
 「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」(サムエル記下6章20節)
 裸になって、空っぽの男と見られる姿で踊りまくる王ダビデ。王としてのプライドを捨て、自分を空にして、自分を神に明け渡し、「神の箱」をエルサレムに迎え入れる。
 「これは永遠にわたしの憩いの地。ここに住むことをわたしは定める。」(詩編132編14節)
エルサレムは神の永遠の憩いの地となった。
 この地に主イエス・キリストの十字架が立つ。エルサレムに於いて示され続けてきた永遠の憩いの地。ここから、本当の永遠の憩いの地への道が主イエス・キリストの十字架によって示される。
 永遠の憩いの地はエルサレムを越えて、全世界に示されていく。
 自分を空にして、主イエス・キリストを受け入れ、信じた者を、信仰者を無条件に受け入れ、その信仰者がどのような存在であったとしても、二人、三人と集った群れを教会として立て、そこを永遠の憩いの地とすると御言葉に示されている。



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