夜ごと


「主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。夜ごと、主の家にとどまる人々よ」
(詩編134編1節)



 エルサレムに全国から、全世界から集った信仰者が、エルサレムの礼拝(祭り)において高らかに主を賛美した。主を賛美する群れを主は祝福してくださる。この神への応答として、主を賛美する。神の祝福と主への賛美が途切れることなくエルサレムの礼拝で繰り返される。この祝福と賛美が繰り返される中で、「天地を造られた神の祝福」を受けて自分の町や村に帰って行く。再びもとの生活が待っている。しかし、大きな確信がある。「天地を造られた神に愛されている」「天地を造られた神」が、自分と自分の生活を祝福してくださっている。だから喜び賛美しながら自分の生活に戻っていく。                      
この詩編134編は都に上る歌の最後の歌としてふさわしい詩編の歌だ。
この詩において「主をたたえよ」と命令形で強い調子で語られる。なぜなら、「天地を造られた主」(3節)が祝福をしてくださっているからだ。
これ以上の幸いがあるだろうか。
イスラエルの民は、驚きをもって神の祝福を受けとめる。
 「見よ、天の天、および地と、地にあるものとはみな、あなたの神、主のものである。そうであるのに、主はただあなたの先祖たちを喜び愛した」と申命記にしるされている。神は、イスラエルの先祖、イザヤ書には「虫に等しいヤコブよ」とある、ヤコブ、すなわち、イスラエル----------それは、神の前には、全能者の前には虫に等しい----------この無価値な小さいものを「愛する事を喜び」としてくださる神だ。イスラエルをとおして、神は歴史の中に「小さい者を、無価値な者を愛する事を喜び」とされる神としてご自身を現してくださった。
「天地創造の神」「全能の神」が、「祝福してくださる」だから「主をほめたたえよ」と命令形で強く訴えずにはいられない。
「主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。夜ごと、主の家にとどまる人々よ」(詩編134編1節)
夜の闇のただ中にあっても主の祝福を受け、その口から賛美の歌が消える事はない。
どんなに暗くても、高らかに主を賛美して歩む事ができる。
どんなに暗い道を孤独を感じながら一人で歩かなくてはならなくても、主に祝福されている。だから主を賛美しながら歩く事ができる。
夜も、天地を造られた神の祝福の中に生かされているからだ。


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