わたしの神


「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」
(フィリピの信徒への手紙4章19節)




  パウロは獄に捕えられている。明日殺されるかもしれない緊張の中にある。人間の目には獄の中にあって足りない物だらけだ。しかし、「わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。」(18節)と語っている。
 フィリピの教会は獄の中にあるパウロの窮乏を見て、それを救おうと贈り物を送ってきた。この贈り物に感謝しつつ、しかし、「豊かに持っている」とフィリピの教会に書き送る。
 獄の中にあって実際には足りない物だらけだと思う。あれも、これも必要だから送ってほしいと訴えるところだ。しかし、パウロは満たされている。パウロは所有から、物から自由である。
 むしろ、贈り物を送ってくれたフィリピの教会の信徒へ、信仰の養いに重点を置いて手紙を書いている。
 フィリピの教会からの贈り物は「香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださる」(18節)と語る。それは、わたし達の献金が何であるかということを教えてもいる。わたし達の献金を神は「香ばしい香りとして喜んで」受け入れてくださる。
 パウロは贈り物を神からの感謝として受けとめる。それが、どのようなものであったとしても神から与えられている恵みである。



 その上でパウロが、心から訴えたい事は、既に「豊かに与えられている」、「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」との確信である。
 神を「わたしの神」と親しく呼ぶ事が許されている。「わたしの神はキリストによって必要なものをすべて満たしてくださる神」なのだ。
 キリスト・イエスによって豊かに与えられているもの、それは、福音である。
 それは十字架と復活に示されている福音である。
 この福音から、今のパウロに一番必要なものが与えられている。
 獄の中で、明日殺されるかもしれない。「朽ちるものは朽ちないものに変えられる。死を突き破って復活の希望が示される。復活して朽ちないものに変えられる」。
 この復活のキリストの光が獄のパウロを包み、福音に満たされている。だから「豊かに持っています」と告白し主を高らかに賛美するパウロ。このパウロの確信はわたし達の確信ともなる。


※このページに掲載の誤りがありましたこと深くお詫び致します(K.O.)