ひとりでいるのは良くない


「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
(創世記2章18節)




人は独りでは生きられない。他の人と共に生きる存在だ。しかし、孤独の苦しみを味わう事がある。その人間の問題について、人間関係がどこで成り立つかということを見失ってしまうところにあるのではないか。
神は人の創造に続いて、「彼に合う助ける者を造ろう。」と18節で語られる。彼に合う助ける者と訳されているが、「向き合って」と訳すこともできる。「人は独りでは良くない。向き合って共に生きる事ができる助け手を造ろう。」と神は語られている。
21節で男の「あばら骨」から女を神は造られる。あばら骨、それは、向き合って生きる存在である事を示している。男から造ったから女は男に対して従属的存在というのではない。向き合って共に生きる存在として女を創造し、人は人間になっていった。
男と女の結びつきは人間存在の原点だ。
神を頂点に男と女と三角の関係が重要だ。
神の祝福の中で男と女が出会い、神の祝福の中で一体となり、そこから新しい命が誕生する。命をあたえる神の創造の業に人間は仕えることがゆるされ、人間関係が広がっていく。



  結婚について語られている。しかし、結婚が全てではない。男と女の結びつきが人間存在の原点である。人は神の祝福の中でお互いに助け手として出会い人間となり、共に生きる存在として造られたということが語られている。
25節「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」とある。裸である事が恥ずかしくない世界が示されている。自分の弱さや破れを隠さなくてもいいのだ。
自分の弱さに苦しみ、自分の破れに苦しみ、自分の欠点に苦しみ、そして、独りぼっちになってしまう。
しかし、どのように弱さがあり、破れがあり、欠点があっても、神の祝福の中に生かされている。この弱さを、破れを、欠点の担い合える交わりを神は備えてくださった。「ふさわしい助ける者」を備えて、教会の交わりの中に生かしてくださっている。
何よりも神と一つである主イエス・キリストが十字架において私たちの弱さと破れと罪を担ってくださった。大いなる助け手の救いの中に、祝福の中に生かされている。この主の救いと祝福の中で「ふさわしい助け手」として仕え合い、教会の交わりを深めて行きたい。