「みことばに聞く」

教会報「みつばさ」7月号より

御顔を隠される

牧師 石橋秀雄

「ひととき,お怒りになっても,命を得させることを御旨としてくださる.
泣きながら夜を過ごす人にも,喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる.
・・・・・しかし,御顔を隠されると,わたしはたちまち恐怖に陥りました.」
(詩篇30章6節〜8節)

 私たちは病と無縁に生きることは出来ない.大きな病に押しつぶされてしまうことがある.
   詩篇30篇の詩人も死を覚悟せざるを得ない重大な病に苦しんでいる.詩人は病の中で恐怖する.その恐怖は重い病ではない.「神が御顔を隠された」事を知って恐怖におののいている.
 旧約の世界で.神の祝福は具体的に示された.神の祝福うぃ受けてアブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフは,家畜が増え豊かに所有する者となって行く.神の祝福の中で子孫が「星の数」ほどに増えて行く.ダビデに示されるように神の祝福を受けた者は容姿が美しい.詩人は「わたしはとこしえに揺らぐことはない」(7節)と自信満々だった.
 詩人は誇り高ぶっていた.信仰も自分を誇る材料である.信仰も仕事も家族も順調で繁栄している.
 しかし,病の中で自分の誇りであったもの,自分の支えであったものが,一つ一つ奪われていく.その苦悩の中でしじんは「神が御顔を隠された」事を知る.その時,詩人は生ける神を深く知るものとなる.
 「神が御顔を隠された」,そこで生ける神を深く受けとめ恐怖に脅えている.彼はすべてが神の恵みの中に与えられ,生かされていたことに気付くのだ.
 詩人は神を本当に見ていなかった.自分に目を向け,鼻高々に自分を誇っていた.しかし,「神が御顔を隠された」事を思い知り,恐怖におののく中で,神を見つめる.この時,詩人を包んだ闇は深い.墓穴は詩人のすぐそばまで近づいている.しかも,神に見放された自分を思い知り深い闇に包まれて恐怖する.この深い闇の底で神の真の御心が示されて行く.
 神は「ひととき,お怒りになっても,命を得させることを御旨としてくださる」(6節)
 神は,神に逆らう者に怒る神だ.しかし,詩人を真に命に導くために怒られる.彼を本当に立つべきところに立たせるために,見るべきものを見させるために怒られる.
 神が怒って,御顔を隠された.その時の孤独と孤立は病の不安と重なってどれほど深く暗いもの出会ったかと思う.詩人は,不安と恐怖の中で泣きながら夜を過ごす.なんと長い夜だろう.「泣きながら夜を過ごす人にも,喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる.」(6節)
 あの深い闇はこの喜びにつながった.神の怒りはこの朝の光,救いの光,命の光につながっている.闇を圧倒する光が神からもたらされるのだ.
 必ず朝が来る.  



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