祝福の源


「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。」
(創世記12章2節)



 2008年の歩みが始まった。最初の礼拝に明日が閉ざされた家族に大いなる希望の道が示される。
 アブラムとサライ、この家族の明日は閉ざされていた。「サライは不妊の女で、子供ができなかった。」(11章30節)とある。
 テラの系図の中でのこの言葉は、家系の絶望的な断絶が示されている。
 ブラムとサライ、この家族の明日は閉ざされている。古代社会では、不妊の女と呼ばれることで、どれほど悲しく、屈辱の涙をながしたことだろう。
 新しい命を望むことができない、明日への希望が閉ざされている。この悲しみの中に神の言葉が響く。
 「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。」(創世記12章2節)
 ブラハムからイスラエル民族が生まれていく。
 新しい民族の誕生へと招かれ、神の祝福を受ける人々とはどのような人であるかが示される。
 アブラムと不妊の女サライ、この明日が閉ざされている家族に神の言葉が響きわたる。
 「あなたを大いなる国民とする」
 命の道が閉ざされた、明日への希望を失っている家族に信じられないような神の言葉が響き渡る。





  神の言葉は命を期待できない者の中に新しい命を与え、新しい希望の世界へと招かれる。
 アブラムが「祝福の源」となるところに、わたし達の希望がある。救いがある。
「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、…」(ローマの信徒への手紙4章17節)
 不妊の女サライに命を与え、神の前に失われた者を、罪の中に死んでいたものを呼び戻し、神の民として招き、明日への希望を与えて生かす神の言葉が力としてアブラムとサライの中に働く。
 アブラハムが祝福の源となり、このアブラハムは主イエス・キリストの救いを指し示し、アブラハムから始まる新しい民族は、主イエス・キリストの十字架と復活によって始まる新しいイスラエル、新しい神の共同体である教会を指し示している。
 イエス・キリストの十字架の言葉は死者の中に命を与え、全く希望のないところに希望の道を指し示し、罪に死んだ者を罪から救い上げ、不幸の極みの中にあるものを、神の祝福の中に導いて生かしてくださる。