手をとって


「ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。彼らがロトたちを町外れへ連れ出した」
(創世記19章16節〜17節)



  神の言葉を聴いた。神の言葉を聴いて信じている。しかし、従えない、動けないということがあると思う。
 ロトはソドムの滅びについて主から聞かされた。娘婿たちに、「さあ早く、ここから逃げるのだ。主がこの町を滅ぼされるからだ。」(14節)と告げたが、「婿たちは冗談だと思った。」(14節)とこの危機を受け止めない。そして、ロト自身も「ためらっていた」。
 ロトは神の言葉を聴いた。神の言葉を信じている。しかし、ためらっている。ただちに逃げなくてはならない緊迫した状況の中で、ロトは動けない。
 ロトはソドムの町の中では正しい人と見られていた。しかし、ロトはソドムから自由ではない。ソドムは罪に満ちた町であるが、経済的に豊かな町だ。そのソドムの豊かさにロトは生活の基盤を置き、ソドムの罪からも自由ではない。その罪と豊かさの中にドップリはまっている。それゆえ動けない。
 それはわたしたちの姿かもしれない。
 わたしたちも聖書から神の言葉を聴いている。神の言葉を信じている。しかし、動けない。罪の中にドップリはまって生きていたら動けなくなってしまう。
 このロトに神の憐れみが注がれる。
 「ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。彼らがロトたちを町外れへ連れ出した」(創世記19章16節〜17節)
 主は、主の使いに命じて、動けなくなったロトと妻、娘たちの手を取らせて罪の町の外に連れ出された。

 この神の憐れみなしには、わたしたちは罪から救われない。
 罪の中にある人間は自分では動けない。罪の中で身動きができない。
 神は罪の底に沈んでいるものを、憐れみ、神自ら手を取って罪の外に連れ出してくださる。
 神はどのような罪、どのような破れ、どのような弱さの中にある者にも、救いの道を示され、その罪の中に身動きができない者の手を直接取って罪の外に連れ出す神の業がロトの救いの中に示される。
 このロトに示された救いの業は、主イエス・キリストの十字架によって徹底される。神と一つであるお方が、神ご自身が罪の中に降りてきてくださった。そして、人間の罪を背負い、罪の中に沈んで身動きができず、ソドムの町のように滅ぶ以外ない人間を、わたしたちを救い上げてくださった。
 わたしたちは神の大いなる憐れみと恵みの中に救われ生かされている。