この名の他に救いはない


「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
(使徒言行録4章12節)



 ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白している。ペトロが弟子を代表して信仰の告白をした。大変重要な信仰告白だ。
 主イエスは「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」と語られ「天国の鍵を授ける」と教えられた。 (マタイによる福音書16章13節〜20節)
 信仰告白の上に教会が建てられる。
 信仰告白は教会のいのちである。
 しかし、キリスト教会は、その2000年の歴史の中で大きな痛みと大きな喜びを持っている。大きな痛みは信仰告白を持って闘えなかった歴史である。大きな喜びとは「この名の他に救いはない」と断固とした信仰告白を持って闘い抜いた歴史である。
 まさにペトロの歩みの中に、キリスト教会のこの痛みと喜びが示される。
 権力者たちの圧倒的な力の前に信仰が吹き飛んでしまったペトロの姿を福音書の中に見る。しかし、同時に権力者たちの前に臆することなく堂々と信仰告白をし、その信仰告白で闘うペトロの姿を今日の聖書に学ぶことが出来る。
 主イエスが逮捕されて、大祭司の庭で裁判にかけられているとき、ペトロは三度主を否定する。あの時、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白した信仰告白を持って闘うべきであった。しかし、主イエスを否定し、ペトロの信仰は破綻する。この信仰の破綻は歴史の中の教会の姿でもある。しかし、主は信仰が破綻したものを見捨てられない。信仰の挫折をし、この世の価値観に翻弄され、信仰が吹き飛んでしまったものを、神は見捨てられない。

 復活の主は再びペトロを招き、使徒として、伝道者として用いられる。ペトロとヨハネは逮捕され、主イエスが裁かれた最高法院で裁かれる。
 ペトロは聖霊に満たされ、その信仰の確信を語る。まさに断固として信仰告白を持って闘っている。
 「主イエス・キリスト、この御方、この名の他に救いはない。天下に、全世界に、人が救われるのはこの御方の名の他に救いはない」。
 ペトロは無学な普通の人だ。このペトロの断固たる告白と証言の前に、学問があり知識があり権力をもっている議員達が無力で狼狽するものとなっている。
 脅かされたペトロは「神に従わないであなた方に従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは見たこと聞いたことを話さないではいられない」。
 ペトロは自由にされている。権力者がどのように脅かしてきても、ペトロは確信を語る。誰もペトロを黙らせることはできない。このペトロの断固たる信仰告白と証言は、2000年の歴史の中で、時代の嵐の中で伝道する教会の姿でもある。
 このペトロの告白が私たちの告白となる時、それが私たちの人生を支え、強め生かす力だ。