みことばに聞く
    
「さあ、べテルに上りなさい」

 



「さあ、べテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたがエサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」

 
(創世記35章1節)



  ヤコブは深い悩みの中にいる。今、闇のドン底に沈んでいる。ヤコブの息子たちが、妹が乱暴されたことを怒り、シケムの家の者に神の恵みである割礼を利用して、復讐した。男たちを殺し、略奪し、女や子どもを奴隷にしたと創世記三四章に記されている。惨憺たる事件だ。
ヤコブはカナン人に忌み嫌われる者になったと深い嘆きの中に頭を抱える。
出口が見えない深い闇の底に沈むヤコブだ。
深い悩みの中に、深い罪の中にあって出口が見えない苦しみを味わうことがある。
このヤコブに「さあ、べテルに行きなさい」と神の言葉が響く。
神はべテルにヤコブを導かれる。
「さあ、べテルに上りなさい」。
ヤコブにとってべテルは特別の地だ。神と深く出会った場所である。
ヤコブは兄をだまして長子の特権を奪った。兄は激しく怒りヤコブを殺そうとする。ヤコブは逃げた、故郷を後にして逃げた。
真っ暗な荒野で石を枕に寝るヤコブ、孤独と恐怖と不安の只中にいるヤコブ、まさに闇の深い底に沈んでいるヤコブだ。この闇の只中で生ける神に出会うのだ。
「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28章15節)
ベテルで響きわたった神の言葉だ。
「わたしはあなたを見捨てない」、この言葉がベテルで、ベテルの礼拝で響きわたる。


 


 ヤコブとは欺く者という意味がある。これはヤコブの本性だ。人間の本性は変わらない。ヤコブの人生は、歩めば歩むほど罪を重ねることになる。そして、今、重大な罪を犯した。神の尊い業、割礼を用いて息子たちが復讐をしてしまった。許されない罪の深みにあり、この罪から逃れる道はない。
「さあ、ベテルに上りなさい」との主の言葉はヤコブを根本的に変えていく。
ベテルに上り、神を礼拝し、ヤコブに語られる主の言葉は「あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名前である」。
神はヤコブを根本的に変えられる。新しい名が与えられて全く新しい生き方をなすものに変えられるのだ。
この神の救いの業は、主イエスによってわたし達にも現実となった。主イエスの十字架と復活によって罪が赦され新しい命の世界に招かれて行く。
「さあ、ベテルに上りなさい」。
「さあ、礼拝に行きなさい」。
 どのような罪の中にあっても、神はわたし達を見捨てることなく、神の尊い礼拝に招き、わたし達は神の新しい命をいただいて生きる事が出来るのだ。


  

  越谷教会月報「みつばさ」2009年12月号より