みことばに聞く
    
「神はヨセフを離れず 」

 



「神はヨセフを離れず、あらゆる苦難から助け出して」
(使徒言行録7章9節・10節)




  ステパノは説教の中でヨセフについて語る。ヨセフを通して、主イエスの十字架の救いが指し示されている。
ヨセフの前半生は転落の人生だ、転落に転落を重ねる人生だ。
ヨセフは兄たちに憎まれ、妬まれた。父ヤコブはヨセフを特別に可愛がったからだ。羊を飼う兄たちの様子をヨセフは見に行く。ヨセフが来るのを見つけた兄たちはヨセフを殺す相談をする。長男ルベンは密かに助けようと思うが、ヨセフを穴に投げ入れた。さらにエジプトに行く商人にヨセフは売り飛ばされてしまう。
ヨセフは転落に転落し、奴隷から、さらに無実の恥ずかしい罪を着せられて獄に投げ入れられてしまう。このような苦難の連続であるにもかかわらず、ヨセフは呟かない、嘆かない、むしろ明るささえ感じる。
その理由は「神はヨセフを離れず、あらゆる苦難から助け出し」たと、この御言葉に示される。
自分の身におきている不幸という現実に押し潰されていない。神がヨセフと共におられたからだ。ヨセフはエジプトの王の夢を解いた事からエジプトの宰相になり飢饉にそなえる政策を立てて、エジプトを飢饉から救っていく。
「神はヨセフから離れず、あらゆる苦難から助け出して」救われた。
 さらに、ヨセフ物語を通して、罪を犯した者、命を脅かされる危機の中にある者からも離れず、その罪から、危機から救い出す神であることが示されていく。
 ヨセフの父とヨセフの兄弟たちも飢饉に苦しむ。ヨセフの兄弟たちはエジプトに食料があると聞いて、食料を求めてエジプトにやってくる。そして、ヨセフに再会する。ヨセフは自分を殺そうとした兄たちを赦した。そればかりか、自分の家族を救う為に神があらかじめ自分をエジプトに遣わしたのだと語る。ヨセフの受けた苦難は、ヨセフの兄弟たちを、父ヤコブを、イスラエルを救う為であったと語られていく。自分の転落の人生は、この苦難は、神が大いなる救いを実現するための神の業であったというのだ。
ヨセフは兄弟の罪を赦している。
ここに神は、苦難の中に生きる者と離れないだけではない、罪を犯した者、命を脅かされている者からも離れず大いなる救いを実現してくださるお方であることが示されている。
ヨセフ物語そのものが主イエス・キリストの十字架の救いを指し示す。
主イエス・キリストの十字架上の苦しみは、苦難の中にいる者から神は離れない、罪を犯した者からも離れない、離れないだけでなくその苦難を人間に代わって担い、罪と死から救い上げるという大いなる救いを実現してくださった。
主は私たちから離れない。この主に私たちのよりどころがある。


  

  越谷教会月報「みつばさ」2009年2月号より




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