みことばに聞く
    
「この人こそ」

 



「『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣べ伝えた。これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。『あれはエルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。』」

 
(使徒言行録9章20〜21節)



 日本基督教団の教勢の低下は深刻な問題となっている。教会のみに託された、教会のみが指し示す救いへの自信の喪失が原因ではないか。そうだとしたら深刻だ。
パウロは「この名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。」(使徒言行録9章21節)。教会の撲滅運動の中心にいて、教会を破壊し滅ぼしていたパウロが一転して「この名を呼び求める者」になった。「この人こそ神の子である」(使徒言行録9章20節)と信仰の告白をし、「このお方」を宣べ伝える者になった。
復活の主との出会いはパウロを決定的に変えた。
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と復活の主がパウロに現れた。
主イエスを信じる者を迫害することは、主を迫害する事であった。この罪が、とうてい赦されない罪が赦されているという強烈な体験をパウロはする事となった。
主の赦しの御言葉を聞いた時、「この人こそ神の子である」と告白せざるを得ない。
神の子とはメシア、救い主の称号だ。
パウロはこの世の栄誉や誇りや地位を投げ捨てて、「十字架と復活の主イエス」「この人こそ神の子である」と告白し、「罪の赦しの福音」のみを語る伝道者となっていく。

 
 使徒言行録2章にペトロの最初の説教が記されている。この説教を聞いた時、人々はこれを聞いて、心が大いに打たれ、「わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。そして、「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。」とペトロは答えている。
そうすれば「聖霊が与えられる」と語られる。
最初の教会は聖霊の働きを豊かに受けて、生ける神の業を深く受け止めながら発展していった。
最初に生まれた教会は生き生きとした教会であった。
その最初の教会において「十字架と復活の主」が説教において指し示され、罪の赦しの福音が指し示され、「悔い改めて洗礼を受ける人」が続々と与えられて行く教会であった。
神が、聖霊の神がどこで働かれておられるかという事が、強烈に示されている。
私たちの教会は、日本基督教団の教会は、この使命に全力を注ぐ教会であるだろうか。
受洗者の数が減少し、教勢低下の危機が叫ばれている。
最初の教会の働きに学ぶことが求められている。

  

  越谷教会月報「みつばさ」2009年6月号より




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