「みことばに聞く」

教会報「みつばさ」9月号より

ひとりひとりを御覧になる主

牧師 石橋秀雄

「主は天から見渡し,人の子らをひとりひとり御覧になり・・・
彼らの魂を死から救い,飢えから救い,命を得させてくださる.」
(詩篇33章13節〜19節)

 詩篇33篇の詩人は人間の明日への希望を閉ざす力として死と飢えを挙げている.エレミヤ書では「空腹と剣」と言っている.いずれも飢えが,死が人間を絶体絶命の中に陥れ希望を奪う.
 イスラエルの民は,飢饉によって住み慣れた家を離れるという経験を何度もしている.飢饉は安住の地を奪う.生きる場を奪う.人間の居場所を奪っていく.イスラエルの民は,飢饉に住み慣れた地を奪われ,居場所を求めエジプトに寄留する.
 しかし,そのエジプトは安住の地とはならず,強制労働に服させられてイスラエルの民は苦悩する.エジプトの剣がイスラエルの民の命を脅かす.飢饉,剣という圧倒的力が,イスラエルの民を苦しめ,明日への希望を奪い,やせ衰えさせて死の中に引きずり込んでいく.
 この苦悩の民に神の御心が示される.神は民の苦しみを見,叫びを聞き,その痛みを知り,救いのために降ってくる神であることが出エジプト記3章に示されている.そして,この神は「ひとりひとり御覧に」なっている.私たちのひとりひとりを見てくださっている.「ひとりひとり」の叫びを聞き,その痛みを知り,救う為に降りてきてくださる神であることが示されている.
 神のみが「魂を死から救い,飢えから救い,命を得させてくださる」(19節)のだ.
 この詩篇33篇の詩人の確信と神への信頼の祈りは,主イエス・キリストにおいて成就した.
 死の圧倒的な力の前に悲痛な叫びを上げる私たちの叫びを,キリストが十字架上で叫んでくださっている.罪の中に滅んでいく私たちの痛み,弱さの故に崩れていく人間の痛みを知って十字架において担ってくださっている.その救いのために闘ってくださる神の業が主イエスの十字架に示されている.
 このキリストの十字架の業の故に私たちの魂が死から救われ,この世の様々な苦悩から救われ,命を得る.それゆえに,どんな現実の中にあっても希望を持って生きることが出来るのだ.
 

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