特別伝道礼拝
 神のみ旨のままに  
浅川 恵子
 特別伝道礼拝報告との課題でしたが、自分のことで心いっぱいになり、自分の思いになってしまいました。
 村田元牧師が、講壇に立たれたお姿、大変に失礼ながら、なぜか昔から存じあげていたかのような懐かしさを感じました。
 お説教は、お母さまのことからはじまり、生いたち、牧師先生になられて、原市教会のこと、奥さまのことまで、その時その時にまつわる御自身のお心をお話下さいました。まさに、このお説教は、私に話して下さっているかの如く、言い知れぬ慰めを受け、心が涙ぐむ思いでした。人生の中で、不条理と思われるさまざまな出来事、これら全て 神の愛 として受け入れ、これこそ神を信じ、生かされている者としての証なのだと、深く受け止めることが出来ました。
 私自身、夫が出張中外地での急死、その時「何故、今なの、どうして、どうして…」と、寂しさ、空しさやらいいようのない不安でいっぱいでした。丁度九十歳をすぎた高齢の父のことであたふたとしている時でしたし…。でもその父と向きあった時、この現実を「神さまのみ旨ならば…」と静かに受け止めることが出来ました。幼い時から「神さまに生かされているのだよ。全て神さまの御計画なのだよ」と聞かされ育てられた者として、今こそ私自身の信仰を、信じる という確かさを、恵みとして与えられたように思います。
 夫のことも「みごとな人生だったね」と受け入れ、父の信仰生活から「神さまに生かされた人生だったね」とあらためて感謝の祈りです。
 遠のいていた教会生活を再び与えられ、父の信仰の継承者として、父から娘、そして孫へと三代目も育てられています。人生最大の不条理ともいうべき最愛の人の死も、不条理ではないのです。「神さまの愛」なのです。素直に「神さまによって生かされている」と信じるだけです。
 神の導きにより生かされ歩まされている。この事実こそ 人生、どう生きるか ということであり「神のみ旨のままに…」と祈り、歩んでいく者でありたいと思います。

(みつばさNo.268 12月号より)



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