歴史に学ぶ  中井勇二
  昨年、漸く仕事から解 放されて、これまでため込 んでいた本を読み始めまし た。特に歴史関係の本を主 に読んでいます。ポール・ ジョンソンの「ユダヤ人の 歴史」を読み始めて、聖書 に新たな視点が与えられた 思いがして、改めて、…旧新約 を続み直しました。そして 自身のアイディンティティ を確かめる意昧でも、身近 な雁史をもっと知りたいとの思いを 強くしました。
そこで始めたのが、自分の信仰の 原点である、近代日木におけるキリ スト教の"伝統"でした。幸いにも 一番身近な長尾丁郎牧師を知る私に とって、伝え聞く先生のお父様、長 尾巻牧師のことを通して知りたい、 それもインターネットのホームペー ジに発表して、大勢の人にも知って 欲しいと思いました。中村真砂子姉 にお願いしたところ、ビデオをはじ め、沢山の資料を見せていただくこ とが出来、本当に感謝でした。資料 を読みながら何度胸を熱くしたこと でしょう。なんとか纏め上 げ、最後に長 尾巻牧師に対す る賀川豊彦氏の言葉で締めくくりました。これを、「歴史に学ぶ 1」と しました。
「歴史に学ぶ 2」は、これまで 私が関わってきた仕事に関すること です。埼玉県に来て農業土木の仕事 で、県内各地を歩きました。戦後食 糧不足の時代の、稲作の生産性向上 のための仕事でしたから、農家の人 達に喜ばれました。しかし、今に なって振り返ると、多」くの先輩達 が作り上げてきた、さまざまな施設 があったればこそ出来た仕事でし た。稲の栽培には用水の確保は勿論、排水施設も欠かせません。 そこで、埼玉県内の用排水施設の歴史を見ていくと、江戸時代初期からの 、先人たちの苦労がわかります。
 昔、埼玉県東部地域は利根川、荒川の乱流地域でした。江戸の洪水防止と 、米増産のための新田開発は、徳川幕府にとって欠かせぬ事業でした。 そこで行われた大きな仕事は、東京湾に流れ込んでいた、利根川の流路を 東へ移すことと、隅田川(荒川)の改修でした。その方針で農業用水の確保と 、排水路整備が行われてきました。しかも、今で言う水の”リサイクル”が見事に 行われていることに驚きます。
用水路では、越谷に住む私達の身近な葛西用水路をはじめ、浦和付近を流れる 見沼代用水路等、何れも途中古利根川や星川の排水と共に、流路を巧みに利用 しています。 その中で、葛西用水路 の歴史と現状を、ホームページに載 せることで奮闘中です。そのために 目下、利根川から都内に至間の、 葛西用水路の現況写真を撮っていま す。(みつばさNo.220号より)
スローライフ  小山保子
  大分で生まれ育った私は、広島の短大で、二年間.の 寄宿生活を体験いたしました。それはそれは規則正し く、田舎でのんびり育った私は、窮屈でしかたがあり ませんでした。母が東京生まれで、三人の叔父も干葉 に住んでおりますので、兄も東京の大学を出て、アメ リカ大使館で定年まで勤務。姉二人も住友金属に就 職しておりましたので、学生時代は休暇となると兄の 紹介で東京でアルバイト等をして過ごしておりました。 卒業と同時に三.菱製鋼に入社。一番上の姉は親元に 戻り、その姉の薦めもあって23歳で夫と結婚しました。
 26歳で越谷に引っ越して来た当時、駅までのあぜ道に ホタルがいた程のどかな田園風景。長男の遊び場も 不自由しません。自然がいっぱいです。ザリガニ、 カエルの卵。その影響かどうか定かではありませんが、 現在宇都宮ににんでいる長男はつりが趣昧と高じてお ります。38歳になる頃、、下の娘も小学四年生になるので、 そろそろ社会復帰を考え始め、現在の職場で嘱託社員 として働いております。
 四年前になるのですが、夫の祖母の妹にあたる叔母様 (今年で93歳になられ、中野の同信会の牧師夫人として 教会を守ってこられた不思議なくらい私も同じ思いをして おりました。教会へ行かなくてはと思いました。叔母様に 相談したところ、親戚の後輩にあたるそうですが、石橋牧師 宛に納介状を書いてもらいました。
叔母様より受洗を祝してとみことばが添えられておりました。
「・・・たとい彼らか忘れることがあっ ても、わたしはあなたを忘れること はない。見よ、わたしは、たなごこ ろに、あなたを彫り刻んだ。」
(イザヤ四九・十六)
嬉しかったです。夫の祖母は熱心なクリスチャンだったと聞 かされており、さっそく谷中にありますお墓に報告してきました。 私は自然に主様とお会い出来たことに感謝しております。 去年より家の前にあります畑を借りて、ベジタブルフレンドに教 えを乞いながら、今年は、ナス、トマト、モロッコ豆を植えてみまし た。
″スローライフ″なるほど!
″スローフード″なるほど!
 これからの私の生き方が見えてきたような気がします。教会と畑。 お花とプール。今の私にとって人切なもの。夫に言われそうです。 "家族はどうした?″
 神様、私は今人事な一歩を歩み始めました。どうぞ忘れないでくださ いね。(みつばさNo.219号より)
やっばり、 シアワセだなあ!  中村壽美子
  先日ある講座で、自分の 人生の生き方と満足度をグ ラフに表わすという学びを しました。思いがけず五十 三年の人生を振り返ってみ る事になった訳ですが、満 足度が高かったのは結婚し た頃、一番低かったのは第 一子を亡くした時、高低を 繰り返した線が受洗した四 十歳以後は穏やかになって いて、改めて感謝が溢れた ことでした。
私は昭和二十四年京都に生まれま した。父は観世流シテ方の能楽師で 演能の他、自宅でお素人の社中の稽 古もしておりました。芸事を生業と する家の常で、私も二歳七カ月で初 舞台を踏まされて以来、子方(子役 の事)として学業よりも舞台優先の 子ども時代を過ごしました。毎朝弟 と二人で舞台の拭き掃除をしてから でないと学校へは行かせてもらえ ず、父親にはいつも敬語を使い、口 ごたえは一切禁止、日々の稽古で教 わった通りに出来ないと容赦なく鉄 拳が飛んできて、見かねたお弟子さ んが止めに入ってくれた事も ありました。親というよりも 恐い師匠と一緒に暮らしているよう なピリピリした生活でした。このま ま父の命令に従うだけの人生は嫌 だ、結婚だけは自分の気持ちを大切 にしたいと思って、反対されつつ高 校の同級生だった夫と結婚、やっと 自分の人生を得たような気がしま す。
結婚後は転勤が多いのが少し辛 かったくらいで、心安らぐ幸せな家 庭を持てたことを夫に本当に感謝し ています。大阪、東京と転勤後、越 谷に住いを得た翌年、娘の入園を控 えてあちこち見学して歩いたのです が越谷幼稚園で「ウサギさんがいる からワタシここがいい」と即決。で もまさかここで教会につながり、娘 共々信仰を持つことになるとは… …。ましてや十九年後にその娘が園 に勤務させて頂くことになろうとは 夢にも思いませんでした。神様のご 計画の不思議にただただ驚くばかり です。
その後移り住んだバンコク、名古 屋、ダッカとどの地においても教会 や信仰の友を与えられ、越谷教会に 戻ってくる度に暖かく迎えて頂き、 主はどんな時も私をわたしらしく生 かして下さる事を心から信じられま すことが感謝です。これまでに舅、 実父を看取り、子育ても終了、まだ 姑や実母の介護には少し間がありそ うな今、この自由な時間を無駄にし てはなるまいと、毎年自分の目標を 持つようになりました。達成出来た 時の嬉しさは格別で、頑張った目分 にご褒美!とばかり、加山雄三コンサートに、ディズニーランドにと駆け出して行く私です。神様、私やっぱり、シアワセだなあ! (みつばさNo.218号より)

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