主に生かされて

生きた言葉を与えられる 小槻 節
 17年前越谷へ引越してすぐに長男の幼稚園入園で、入園権確保に前日夕方から、徹夜で翌朝まで越谷幼稚園に泊り込んだのを懐かしく思い出します。その長男も大学生になり、我か家から離れ独り暮らしで今年20歳成人となりました。
 2002年末は家族4人で里帰りをかね京都、神戸に行きました。神戸では「阪神・淡路大震災記念---人と防災未来センター」にたまたま行くことになりました。八年前の大震災で得た経験、教訓を継承する目的で昨年神戸市を中心として、完成した建物です。いろいろな角度から震災を記録し、映像、写真や実物・模型と関係者による脳膨大な記録をパネルやコンピューターで保管、見学者の知りたい内容に応じたディスプレイがされていました。
 この震災では家内の従兄弟夫妻が倒壊した家の下敷きで亡くなりました。あらためて震災の重さ方にはまだ見ることは耐えがたい内答のセンターであると思いました。
 一月休みの時に母と一緒に「ケセンで読む聖書」という番組をビデオで見ました。ケセンは岩手県大船渡あたりの地方のことでその土地の言葉、いわゆる方言がケセン語です。このケセン語による聖書がどのようにその土地の信徒に届いたか、という視点で番組が作られていました。地元の話言葉で朗読された聖書の言葉、特にイエスの言葉がご婦人信徒に大きな力を与えたとありました。聖書の言葉は奥深く、そのままでは理解することは本当に難しいと思います。少なくともわかりやすい言葉、この番組では自分たちが普段使っているケセン語で書かれたり朗読されたりすればその言葉は生きた言葉として、聞く者の心へずっしりとした重みをもって入り込んでくることがわかるような気がしました。
 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神で、あった。」(ヨハネ福音書1・1)。言葉がいかに大きな意味を持つのかと思います。
 人生の岐路になるような時の、一言は神様の言葉なのでしょうか。私にも聖書の言葉が生きた言葉として心の奥深くきざまれるようにもっとなるにはどうすればよいのでしょうか。聖書を懸命に読み、説教をしっかり聴けば(事実は必ずしもそうでないことがしばしばあります)この鈍い心に神様の言葉が人ってくるのでは、しかし聖霊の力と祈りによらなければ届いて、こないのではないか、と思います。
 「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18・19〜20)
白髪としわと体重が増え、体力も衰えてきていますが、中身は受洗した21歳のときと同じです。神様のご計画がわからない、みことばがわからないことも多くありますが、
さらに生きた言葉をあたえられ、喜びをもって歩んでいきたいと思います。
                         (みつばさ2月号より)


バツハからの贈りもの 中村真砂子
 長い間自分に与えられた ささやかな音楽への道を、 これまで続けて来られたの は何だったのだろうかと、 ふと思う時があります。
 五歳の時に、幸い壬子叔 母(音大出)が側に居てく れたお陰でピアノを習い始 め、「この子は音楽的にあ まり耳は良くないが、根性 はありそうだ」と厳しく教 えてもらいました。その当 時叔母は駅通りにあった教 会の小使室に住み、牧師館は御殿町 にありましたので、毎日のように自 転車で叔母の元に通いました。
 当時越谷には小学校と幼稚園で使 用していた叔母のピアノが二台しか ないという音楽不毛の地でした。私 が小学三年の時に、両サイドにロー ソク立ての付いた中古のピアノを 買ってもらいました。その時の喜び は忘れられません。
 後にクロイッツ アー(芸大)の弟子だった田巾中立江 先生・YMCAの芸術院で森谷恵美 子先生にもお世話になりまし た。とうとう八十という歳に なりましたが、今も礼拝奏楽の練習 の為に悪戦苦闘をしながらピアノに 向っております。
 昨年の八月に出版された「バッハ からの贈りもの・汲めども尽きぬ ミューズの泉、語れど巣てなき」と いう本を読みました。これは鈴木雅 明氏(バッハの宗教音楽作品を中心 に幅広い活動家・東京芸人助教授・ 日本キリスト改革派東京恩寵教会オ ルガニスト)と加藤浩子氏(音楽評 論家)との対談で四百頁にも及ぶも のです。
 鈴木氏は「バッハの音楽は 深い森の中に分け入って行くよう な、わくわくした気持に捕われる」 と述べられています。
 バッハの偉大さは250年経って も今だに生き生き神を賛美し続けて いる事だと思います。バッハは作曲 者であると共に礼拝におけるオルガ ニストでもあったのです。巨大な32フィートのペタルのある聖ヤコ ブ教会のオルガニストを務め、さぞ その素晴らしい奏楽は深遠で厳かな ものであったでしょう。
 バッハには子どもが二十人も生ま れましたが、その中の半分を亡くさ れその都度コラール・カンタータが 作曲され「神にただ委ねます」と歌 われ、その信仰に心打たれます。
 バッハの自筆譜の終りには必ず「た だ神にのみ栄光あれ」と印されてい るそうです。私はぺタルが使えませ ん。バッハの曲は殆どペタル付きな ので沢山のオルガン曲がありますが その中からペタル無しの曲を探して 練習をしています。
 私はこれまで奏楽者という責任を 負わされて来た恵みに感謝し、この ささやかな音楽を神が喜んで下さる のならばと、祈りつつ励んで行きた いと思っております。
                   (みつばさ1月号より)


スロー・ぺ一スでもいいじゃない? 山本美保子
 「早くしなさい」「遅いんだから」。
 子どもの頃から、耳にタコが出来るくらい、母にこう言われてきた。そう、基木的に私の行動、生活ぺースはゆっくりである。
 行動が遅いことの原因の一つに、「よく考えずに動くと失敗する」という恐怖感が先に立ってしまうことが挙げられる。それはきっとこれまでの人生の中で、よく考えずに行動して失敗した経験が多いと、自分で勝手に思ってしまっているからなのだと思う。
 そんな調子だから(特に大事なことは)よくよく、よくよく考えないと答えが出せず、行動に移せない。
 信仰を持つに至るまでもそうだった。越谷教会に初めて足を踏み入れてからは、この12月で丸6年になるが信仰歴は3年にも満たない。信仰を持つまでに3年掛かっている訳だ。
 でも私が信仰を持つにはそれだけの時間が必要だったのだと思うし、最終的には導かれたのだから、結果オーライである。
 さらに、スロー・ぺースは人生の歩みにも及んでいるようだ。実は私は、三十歳を軽く通り越したけれど、未だに不安定な派遣社員を続けているパラサイト(独立せず、親に寄生している状態をいう)なのである。まわりから色々と耳の痛いことを言われ、白分の将来について不安を感じていた私に、神様は聖書を通して語りかけて下さった。
 「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの」(イザヤ書43章4節・□語訳)
 「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。(中略)神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(伝道の書3章1節〜11節・口語訳)
 神様は私たち一人ひとりを高価で尊いものと見なされ、一人ひとりに相応しい方法で、相応しい時に導かれる方であることをこれらの御言葉は教えてくれているように思う。そう思ったらもう何も恐れるものはない。神様が備えてくださる道を、ただ真直ぐに歩むのみである。最近になってようやく、自分の夢と思えるものを見出せた気がする。そして現在、その夢を実現するべく計画を練っている最中である。
 人と比べれば遅い歩みかも知れない。でもこれが神様のご計画の内にある、「私」の歩みなのだ。これって負け惜しみかなあ?
 まあ、いっか。細かいことは気にするまい。感謝をもって主を賛美しつつ、さあ、歩み出そう!
                       (みつばさ12月号より)


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